2016年7月15日金曜日

アニメは打ち込みの電子音楽ではない

アニメの演出家でよくいるのが、声の芝居を紙で絵を描くようにコントロール出来ると思っている人。
でもそれは無理だ。
人間には肉体があるし、それは人それぞれ持っているものが違う。
作曲家が打ち込みでラフの曲を作る時、それが実際演奏できるかどうか考えなくてはいけないように、アニメの演出かもそのセリフがその尺で、その間で実際言えるのか考えなければいけない。
さらに、実際にそれを演じる役者の肉体から発する感情や温度は尊重しなければいけない。
キャラクターは脚本家・演出家・アニメーター・役者のコラボレートで作り上げられる。

それはもしかしたら私たちなんじゃないか

それはもしかしたら私たちなんじゃないか。
そう、物語を見て思わせることは物語について深く考えてもらうためのキッカケであり装置になりうる。
物語を単なる空想で終わらせないためには、受け手に深く考えてもらう鈎が必要だ。
それはもしかしたら私たちなんじゃないか、そう考えさせることは一つの鈎になる。

2016年7月9日土曜日

演出を盛る?ということ


知り合いと話していて考えたこと。
たとえば登場人物の心情をつたえなければいけない時、それをどのくらい盛るか、というのは人によって非常に判断の分かれるところだ。
悲しい出来事が起こったシーンで「雨を降らせる」何ていうのは非常にオーソッドクスな演出である。
「雨」で「悲しみ」を暗喩するのだ。
こういう要領で「悲しみ」の暗喩を積み重なれる事は結構できる。
音楽で盛る事は最もわかりやすい。
しかし重ねすぎるとリアリティーは失われていく可能性が高い。
私は基本的に演出を盛るのが嫌い、でもあり下手なので、なるべく盛らずにすむ方法を模索する。
何もしないと伝わらないが、しかしなるべく最低限の演出で伝わるように心がけたい。
絵の上手い人などは構図で演出を重ねがちなのだが、過剰にやってしまう人が少なくない。
最悪なのは、映像の中で行なわれている芝居や出来事は大して練られていないのに絵の演出だけで乗り切ろうとする人だ。多分本人は無自覚なのだが…
私の個人的な理想は演出なしで、ただその映像に映っているものが魅力を持っている映像である。
それにはシナリオ作りがとてつもなく重要なのではあるが…

久しぶりの更新:雑記

最近自分のところにきたお仕事を見つつ思った事。
世の中には大した展望もなく立てられてる企画が山のようにあるんだろうなぁ。
身近にある案件だけでもそう感じるのだから間違いない。
信念を持って作ったものが売れない、そういうことはよくあるのだろうし2匹目3匹目のどじょうを狙う木本もわからんではない。
しかし、それにしても低すぎやしないか志が…というものはある。
文句があるなら自分で金集めて企画を立てろよと、言われるでしょうが。

新しい企画はネット配信や中国の資本が絡んだものが多いようだ。
実際NETFLIXだけでも配信されているタイトルはなかなか充実している。
ネット配信会社の参入が制作費の押し上げになってくれると良いのだが。
企画の内容に関して言えば海外での配信を視野に入れてるものでも現状の萌え系みたいなものの延長線でしかないものも多いようだ。
北米だとむしろそういうものが求められてもいるようで、それだとマニア向けの商売の域は出られないのではないかと危惧している。
とりあえず自分はそういう企画に魅力を感じない。

最近アニメ映画が増えているような印象だ。
意欲的な作品もあって楽しみだ。
商売的にもそこそこ成立しているようなので、この流れが続くといいなと思う。