2010年9月26日日曜日

聖地巡礼

聖地巡礼ってまあ昔からあったわけであえては言わなくても、特定の場所を舞台にして作られたアニメはいっぱいあったわけです。最近大勢の人ががそういう場所を意識し出したのってなんでだろうな~って考えるんですけど物語のリアリティーなんかよりも直接的な場所、現実空間とつながってると、そういうことがリアリティーとして機能するってことなんですかね。
確かに昔の作品は荒唐無稽なものほど空間的なリアリティーを精密に描くことで現実に引きつけようとしていたやに思います。ガンダムみたいなリアルロボットものと呼ばれるようなものとかその最たるもんですね。サザエさんにリアリティーが足りないとかいう人がいないのは世界観そのものが現実と距離が近いからです。しかし、いまは世界観と現実の距離とは無関係に空間のリアリティーというものは求められています。『けいおん』なんてあんなに描き込んだ背景で無くても成立するのにしっかり描いてあってそれが観客をひきつける強い魅力になってることは否めないと思います。
 逆に言うとどんなに荒唐無稽なものでも空間にリアリティーがあれば受け入れられるんでしょうか?
そのへんのさじ加減、線引きのラインがどこにあるのか考えるのは楽しそうです。

2010年9月25日土曜日

強調の仕方

映像で何かを強調するやり方はいろいろ有りますが、長い時間を使って強調する方法は判りにくいのかもしれません。コンテからぱっと読み取るのは、尺を気にしないといけないのでちょっと慣れてないと気付かないかも。映像の演出技術の中では編集のに分別される方法です。
1カットの尺を長く取る、一つのことを説明するのにカットを沢山積む、などもう一つ大きな枠組みになると強調したいシーンの時間を長くとる、ということです。
大雑把にいうと簡単そうですが、何を撮っているかなどによって見せ方も変わるので難しいです。
すばやいアクションだったらスローモーションとか同じアクションを違うアングルで何度も魅せるとか。。
 会話シーンだったらあえてカットを割らずに同じ構図を長く見せるとか。
ただ長く見せることは強調になることは間違いないです。でもアニメの場合とくにだと思うのですが長く見せるのは勇気がいる時があります。作画が大変になるのでは?とか間が持たないのでは?とか。
しかし、経験を積んでいけばそれほど難しい判断ではないだろうと思います。
アニメの場合コンテの段階である程度編集の形が見えてないといけないので、編集的な技術は常に磨くように心がけておきたいです。

2010年9月17日金曜日

ちょいつづき

コメントいただきましたが、西欧人の方が奥行きに対する欲望は深いのかもしれませんね。日本人はそれほど強くないかも。その辺の事は調べると面白いと思います。村上隆さんとかそういう日本人の感覚を強く意識して作品作ってますね。

全然違う話題(3D映像の妄想)

3D映画がどんどんふえてますね。自分はまだほとんど見てないんですけど(^_^;)
3Dの再現方式はしばらくは(永遠にかもしれないけど)視差を使った奥行きの表現にとどまりそうですね。ぐるっと360度どこからでも見られる映像というのはなかなか難しいみたいです。
しかし、妄想上は不可能なわけでもありません。最近はどうかわかりませんが、科学博物館なんか行くと円筒上になったアクリル板の中に映像が浮かんでるホログラムがよく展示されてたんですけど、あの方式を拡張していけば可能なのではないかと思います。ホログラムはフィルムに光の干渉縞を記録して元の物体の反射光を再現する(詳しい説明はむずかしい…)システムなので干渉縞を液晶何かを使って再現できるようになればきっとできるはず!!でもホログラムは撮影がとても難しいんですけど。
3Dは再現よりも撮影の方が難しい気がします。ある物体を360度から撮らなきゃいけないわけで、実際やったらカメラが絶対写りこむw
というわけで、360度どこからでも見れる映像が再現できる技術が出来ても中身の映像はきっとCGですね。やっぱりこれからはCGアニメだ!

2010年9月11日土曜日

エヴァともののけ2

書き出してはみたものの、何か大したことを分析できるはずもなく、当時の気分を整理するくらいのものでしかないなあ…世の中の師匠と弟子って大概愛憎入り混じってるもので宮崎さん庵野さんも例外ではないと思いますが、特に二人はあえて同じテーマで作らなくても作れるような立場にある作家で特に宮崎さんが多分庵野さんの作っているものを知っていたであろうに、あえて同じようなモチーフをぶつけたのが重要で、もしかしてエヴァの話はあえて知らないようにしていたのかもしれないけど自分は知っててあえてのことなんじゃないかと推測してた。エヴァはジブリでもグロスで受けてたので全く話を知らないってことはないんじゃないかと邪推してみたけど判りません。なにかそういうこと話してる本あるかもしれませんが。あの2作品にまつわる本の量たるや…ですから。
なんにせよ、宮崎さんはああいう主人公でやるしかない!と思いこんでアシタカを作ったに決まっているのですから、そう仕向けた時代の空気みたいなものは今でも分析する価値はあるでしょう。
一方エヴァを作った庵野さんは感覚というよりは知性というか非常に考え抜いてエヴァという箱をつくった。テレビの最終回を見た時もああやっぱりという感じで特に違和感もなかった。エヴァという何をやっても畳みこめるような抽象的な箱はだから形を変えて今も存在する。確かにあの頃の庵野さんは精神的に参っていたようだけど、そんな自分も徹底して客観視して畳みこんだのがエヴァで、そういう意味で宮崎さんよりは随分クールに時代を眺めていたのかもしれない。宮崎さんは、いつものごとく真正面から挑んで、もののけ姫になったにちがいない。
自分の主観でしかないけど、紅の豚辺りからどういう物語を紡いでいくべきか宮崎さんはすごく迷っていたと思う。(悩んでいたのは宮崎駿だけでは無い、物語不遇の時代だった。)もののけは宮崎さんにとって乗り越えなきぃけない時代の要請したテーマだったに違いない。庵野さんにとってもまたそうであったろう。出来あがったものは全然違うけども。

2010年9月2日木曜日

エヴァともののけ

ホントに暑い日が続きますねえ。
なんか、前から書いてみたいと思いつつ今更な感じもするし、批評みたいになりそうだけど書いてみたいから書いてみるみたいなテーマで。単に自分の頭の中を整理してみたいだけなんですが。
エヴァンゲリオンと、もののけ姫はほぼ同時期に制作されてました。テレビのエヴァを作ってる頃、もののけは準備してたくらいでしょうか。準備期間にジブリでエヴァを1本受けてましたから、ほぼ同時期の作品と考えていいでしょう。
ずっと気になってたのは、師匠と弟子がなんで同時期に似たような話を作ったんだろうということ。その辺掘り下げた書籍もあるんでしょうか?単体の作品では2つとも掘り下げられてるけど関係性を論じてる本あるなら読んでみたいです。
宮崎さんにせよ、庵野さんにせよ、それまで扱ったことがない内向的な少年をテーマにしていて話の大きな構造も似てる。エヴァはまだ庵野さんがそれまでも扱ってきたモチーフが散見されるけど、もののけは宮崎さんがこんな陰気なもの作るんだということに当時の自分は驚きました。
シンジくんもアシタカも自分のことを忌むべき存在として扱ってる。宮崎さんはエヴァの話の大枠は知っていたはずだと思うのですが、だとするとあえて似たような主人公をぶつけたことになる。
あるいは、宮崎さんは似ているとは思ってなかったのかもしれない。または、エヴァのストーリーはあえて読んで無かった可能性もあります。いや、やっぱり知らなかった可能性は低い気がするなあ。絶対庵野さんに電話して説教食らわしてたんじゃないかと邪推してるんですが。
いずれにせよ、宮崎さんは方向性を変えられるスケジュール的な余地はあったと思うけど、そうしなかったということはシンジくんアシタカを貫くキャラクターに重要性を感じていたということなんでしょう。二人は同じ時代に物作ってはいても、方向性が重なることは無いですが、この2作品だけは何か似たような方向性を持っていて両方大ヒットを飛ばしたというところもまたすごく似ている。
逆に、2作品の違いを考察すると2人の作家性が浮かび上がってきそうです。
いや二人の作家性なんて論じてる本は山ほどありますが、この2作品は自分はいつもセットで考えてしまう。不思議な相関にある気がするんです。二人がこんなに似たようなテーマで作品作るなんて、もう永遠に無いと思うので。