2010年6月11日金曜日

業界のレベル

先輩のアニメーターと話すと良く出る話題に最近のアニメーターのレベルが落ちたというネタがある。ただこれ10年以上前から言われてて、確かにと思うところと、いやそんなことないでしょと思うところがある。例えば昔はアニメーターは何でも描けなきゃいけなかったという人がいる。けど、20年以上前からメカエフェクトとかしか描けない人もいたわけで、それってアニメ創世記のころの話でしょ?と思ってしまう。気になるのはうまい人の割合が減ってるのかということだが、これも一概に時系列で比べることは出来ないと思う。やってる作品の内容も作画のクオリティーも平均的には昔より明らかに上がっているし、作品の本数が増えた分、人も増えた。うまい人が減ったのかというと、そうではなくて偏りが大きくなったのではないかと思う。確かにテレビの作画監督などでは力量不足なのでは?という人がやっている場合も多々見受けられる。しかし、比較的大きな会社などでは新人でもかなりうまい人などがいるし、やはり金のあるところには人が集まってる印象がある。金のないアニメ会社はもっとシビアな制作管理をしないと人がバタバタ倒れていくだけかもしれない。作品のコスト管理には演出が実は非常に大きな役割を担っているので、そういうコスト感覚を持った演出を育てることは大切だと思う。話がそれてきたが、人材の格差が激しくなったということはあるのかもしれないと思う。ルーティーンワークで制作しているだけではクオリティーを維持し続けるのは難しいことだけは間違いない。

2010年6月9日水曜日

セリフの作り

いわゆる説明セリフというのがある。絵で判りそうなものを確固として解らせるために入れるセリフである。あるいは、絵で見せきれない事柄を説明するために使ったり。説明セリフは無きゃ無いでいいようなもんである。しかし、昨今はみんな過剰に説明してしまうけ港にあるやに思う。それには色々理由があると思うので一概に悪いとは思わないが、やはりたまに過剰であると感じる。バラエティ番組などの字幕は説明セリフに他ならないが、ボーっと見ていても解るというようなためにいれてある。アニメの説明セリフもぼーっと見てたって解るようなためにみんな入れてしまうのかもしれない。よく打ち合わせなんかで口にするのが「これ解るかなあ?」という言葉である。もちろんどうしても解らせたいことはある。しかし、何でも解らせなきゃいけないのだろうか?もちろん否であろう。DVDで何回も見てりゃ解るよ、ということではない。5年10年たって自分が成長して初めて解るドラマのディティールもある。そういうこともあるかなと思う。観客一人ひとり解釈が違ってくるような作り方もあると思う。言葉にすれば何でも伝わるわけではないのだから、言葉に頼り過ぎるのはどうかと思う。何せ映像表現なのだから。

2010年6月7日月曜日

素朴な疑問

作品ごとに予算や会社の体力は違う。たまに明らかにそういった枠に入りきらない作品を作ろうとする監督がいる。そういう人は決まって作品が面白くなかったら意味がない的な発言をするが、まともに出来あがらなかったら作品にならないし面白い以前の問題になる。作品の枠組みぎりぎりを狙って作るのは監督の手腕だと思うが明らかに枠を飛び出したものは見合うスタッフが集まらなかったりお金が足りなくなって揉めたり、双方ボロボロになって終わることが多い気がする。自分の経験だと出来るかなと思うところから1ランク下げたくらいで出発してギリギリ最後まで走り抜けられるというきがする。自分の能力、予算、スタッフの能力などを分析して戦略を立てられない人はこれからはシビアに生き残っていけない気がする。といいつつまだまだ、評判悪くても名前のある人を使うことが多いけど。

2010年6月5日土曜日

ひさびさ

さいきん放置しっぱなしだったので更新。どうも、三菱が電動鉛筆削りを生産中止にするらしいとの噂を聞く。なるほど、そこから来たかという感じだが手動かカッターで削るかあるいはタブレットにして紙を廃止するか、そのうち選択を迫られるかもしれない。自分は商業アニメに関してはデジタル推進派なのでタブレットに一票という感じ。しかし、鉛筆じゃなくて削り機の方が無くなるとは。考えてみれば納得だけれども、意外だった。電動の鉛筆削りが無くなったところで結構やっていける気はするが、時代が変わってくのはひしひし感じる。セルが無くなっって行く時も一抹の寂しさを感じたが今回も似たものを感じる。しかし、最近は子供に電動鉛筆削りなんて買わないのだろうか?学校の先生とかも使わないのか?結構色んな場所で使われているものだとばかり思っていたのだが。新しく出来たり廃れたり。100年後アニメはどうやって作っているのだか。アニメが無くなってるってことももちろんありうるだろうけど。