2010年3月28日日曜日

非実在青少年とか

都の法案自体は色々な人が問題を指摘してるのでさておき、何故繰り返しマンガやアニメやゲームを子供に悪影響があるとして槍玉にあげる人がいるのか、という事は考えてみるべきと思う。自分が考える一つの理由は、「子供向けのものに大人がコミットする気持ち悪さ」だ。これは、サブカルと呼ばれるような物が一般的に抱えている怪しさの根本だと思う。ある物が想定した消費のされ方とは、別の文脈で消費しようとする事の面白さが同時に怪しさにつながってるのだと思う。その嫌悪感を持ってる人は拭い去りがたくいてまあそれは当然という気はする。逆にそういう捻じれががほぐれた時、たとえば今のテレビみたいにメジャー化してバラエティーで言ったことが素直に信じられるようになったら(あるある大辞典など)それは健康な状態なんだろうか?と思う。少し眉に唾をつけて見ていてもらうくらいがちょうどいいんじゃないかと、個人的には思う。ただし、広い観客を獲得していく作品作りは当然必要と思う。単純な問題ではないのでどういう作品を作るべきか真剣に考えなければいけない。

2010年3月27日土曜日

健康ってすばらしい

鬱になったり大きな怪我や病気をした時、現状、業界では何もケアされない。アニメ業界に限らず過酷な職場は増える一方で社会保障とかは現実に追いついてないし。自分の周りでも哀しい出来事が起こって、しかし、自分も何もしてあげることは出来なかった。でも、何か出来ることを考えないといかんなあと思う。小さな事からでも。ただ、まずは自分の体を大事にしようと思う。でないと、人に何もしてあげられない。

2010年3月13日土曜日

倉庫の肥やし

いま、流通に乗らずに誰にも見られることなく眠ってる作品てどのくらいあるのだろう。そういう作品をデジタル化して小さい画面でも無料で観られるように出来ないだろうか?そこで再生回数の多い奴とかはクオリティーの高いパッケージを作って出すとか。映画とかも倉庫の中に眠っているよりは少人数でも誰かに見られている方が幸せだと思う。デジタル化するのはお金がかかるだろうから、難しいのかもしれないけど、それこそ税金使ってちまちまとやってけないもんだろうか。古い映画をかける映画館も減ったし、CSとかでその分補えてるんだろうか。できれば無料で観られる環境がいいけどなあ。

2010年3月12日金曜日

いいものみた

熱情ってやっぱり画面に宿るものなんだなあ。もちろんしっかりとした技術に裏打ちされてるんだけれども。その枠を超えてあふれ出てくる熱情を見るのは楽しい。技術は人と人をつなぐ管みたいなもので熱情はその中を伝わっていくんだろうなあ。ぽかぽか

2010年3月7日日曜日

各話演出の領分

各話のコンテマンや演出は作品をどの程度理解していればよいのか、というのは結構難しい問題。監督のように立ち上げから付き合うわけではないので、例えばある脚本がどうゆう経緯で出来たかなどということは知る由もない。重要なことは監督が伝達しなければならない。実際のところ一本の演出をやるのに、すべてのシナリオにめを通すのは大変な労力である。もちろん担当話数の内容によっては必要なこともある。最後の方の複線回収の話数などは監督がコンテを切る方がよいのだがなかなかそうもいかない。ほとんどの場合は前後話数のあらすじを理解しておけば、大きく間違うことはないのだが、細かいネタを仕込めるほどに各話演出が全体を読み込むのは難しい。したがって、各話の大枠を各話演出が組んで、監督が微調整という姿が理想的である。(原画と作画監督も同じような関係性かもしれない)しかし、各話演出の個性というのは当然にじみでてしまうので、それぞれの個性に合った話を割り振れるかというのは作品の成功のカギの一つと言える。

2010年3月2日火曜日

音楽の拘束力

音楽が映像を規定する力はすごくて、同じ映像でもついてる音楽が違うと全く違って見えたりします。ワイドショーなんかでレポーターと普通の住宅街しか映ってないような映像でも、そこに緊張感のあるドラマティックな音楽(アニメのBGMがよく使われるけど…)がかかると、それだけで観る方の気分は変わったりします。ドラマの中でも基本的には映像のキャプションとして音楽は機能します。
基本的には、と書いたのはドラマの中に出ている人物がその場面にかかる音楽に合わせて踊るような場合もうすこし違う関係性が生まれるからですが、音楽(サウンドトラック、BGM、劇伴としての)はドラマの中で実際に存在する音とは別に、一体音楽がどこから流れてくるんだという問いかけをされないままに存在することが出来ます。まあ、しかしこの拘束力はうまく使わないとただの映像の補足になってしまったりしがちなので難しいんですが。登場人物が楽しい気分で歩いている。それを補強するために楽しい音楽をつけるとしても、どの程度楽しい音楽をつけるかによって意味合いが変わってきます。
あまりに派手な音楽をつけてギャグになってしまうということも起こります。
また、効果音も音楽の一つとして捉えられるため足音とぶつかるような音をつけると失敗するということも起こりえます。(あえて、音と合わせることをミッキーマウシングといって映画だと最近流行りませんが、アニメだと面白い場合もあるかもしれません。)
画面上で爆発など起こる場合、効果音とぶつからないようにぱっと休符をいれておさまると同時に鳴り出すとかは基本的なテクニックだったりします。(日本だと流しっぱなしの場合も多々見受けられますが…)
言葉でキャプションをつけるのと同じで、より世界が広がる方向性で音楽をつけることが大事なんですが…難しいですねえ。

2010年3月1日月曜日

キャラ崩れ

手描きの場合、描き手によってどおしてもある程度キャラクターのニュアンスが変わってしまう。それは、描き手が一人の場合でも起こる。時間とともに熟練して最初のころの絵と変わってしまうのはよくあること。じゃあ、3Dのキャラはキャラ崩れしないかというと、マンガ的なディフォルメをされたキャラクターの場合、写す角度によっては美しく見えないことがある。手描きの場合は、違和感を感じさせないようにしながらも立体的には嘘をついて美しさを優先する。
キャラクターが現実の人間の造形に近づくほど写して立体的に違和感を感じる角度は少なくなるわけだが、それとキャラクターの同一性を保てるかどうかはまた別問題になる。
現実の人間でも、角度や表情によっては全く別人に見えることがあるくらいだから手描きでも3Dでもまた然りである。
手描きの場合かなりの嘘をついてることもあるので、演出の段階からそれを踏まえておく必要のある場合もある。有名な例だと、鉄腕アトムやあしたのジョーの髪形。キャラの目線の付け方なども気をつけないと、見ていてほしいところを見てくれない。マンガ的な顔の平べったいキャラの場合頭ごと向かせないと黒目の位置だけでは目線を表現できないことがままある。
手描きにしろ3Dにしろそれぞれの特徴を生かしたキャラクターの造形というのをもう一度考えた方がいいのかもしれない。