2010年12月22日水曜日

大画面テレビとレイアウト

もうアナログ放送の終了間近になってきてテレビを買い替えたお宅は沢山あると思いますが、テレビが全体に大型化して買い替える時は少し大きめのテレビという人がほとんどだと思います。40型を超えるテレビで観賞する人も決して少なくないというか、かなりの割合なのではないでしょうか。そういう大型テレビで観られることを前提にした時レイアウトの撮り方は必然的に映画に近くなってきています。キャラクターのアップは従来のテレビよりも引き気味で事足ります。むしろ顔に近づきすぎると情報が減衰する可能性があります。単純に大画面になるだけで伝わる情報の幅がかなり変わってくるので、良くも悪くも大画面を前提にしたレイアウトにならざるをえないでしょう。とはいえ、大画面を前提にすると勢い作業量が増えるのでどう折り合いをつけるか難しいです。特に背景美術の上りが全体の見栄えにかなり影響してきます。しっかりした美術原図を描くことは美術の負担を軽くしますし、レイアウトの重要性は益々上がっていきそうです。これからは見栄え的なことだけでなく映画的な演出にシフトしていくだろうと思いますが、経済的な面と折り合いをつけていくのはなかなか難しい問題です。

2010年12月13日月曜日

丁寧さ加減

レイアウトを描く時どの位丁寧に描くかというのは難しいところがあるかもしれない。美術原図の場合、しっかりした画力のアニメーターが描いた原図はもちろん仕上がりに反映される。しかし、色々な理由で原図通りにならない場合もある。作品の統一感の都合上、画角を微妙に調節する場合。美術設定が存在しない場所などの場合。美術の作業量の調節の都合による場合。美術の技量が足りない場合…などなど。いわんや、アニメーターの画力が足りない場合直される。とはいえ、しっかりした原図はやはり重宝されるもの。複数の組線が発生する原図は特にしっかり描かないとアニメーターも美術も悲しい思いをすることになる。
キャラクターの場合、どんなに上手い人が描いてもキャラクターのディテールは作監の修正が入る場合がほとんどだ。なので、まずはキャラクターのプロポーションをしっかりとることが最優先となる。キャラクターのプロポーションは美術原図とも関係してくるのでプロポーションが狂っていると美術原図も全て書き直しになる場合が多々ある。そして、自分の構想をしっかり示す上でも、一枚は丁寧に影をつけた絵をいれるのが通常であろうか。勝手知ったる関係でないならば自分の画力を示す上でも必要であろう。特に新人の場合など。
丁寧に描くのは当然時間がかかるので、むやみに丁寧に描く必要は無いのだが、その按配はカット内容にもよるので、経験的に学ぶのが早いと思う。上手い人のレイアウトを直すのはとても大変…という場合もあるのだが、これはまた別の話。

2010年12月9日木曜日

もう師走、東京も来月あたりは雪が降るんじゃないかと思いますが、最近は雪はほとんど撮影で作ってますね、アニメだと。作画と撮影の雪を混ぜると、作画を全部一コマにしないと撮影の雪との違和感が出てしまうので。昔は多段引きやったり、作画でやったりでしたが、どうも今の撮影には敵いません。雨もデジタル撮影初期のころはデジタル感が如実に出ていまいちでしたが、今はとても自然な雨が作れるようになったと思います。セル傷で作った雨みたいなものも作ろうと思えばできますし。まだ波とかは作画がメインですが、水面の波の処理とかは、どの作品でもほとんど撮影で入れるようになったんじゃないでしょうか。昔は撮影で入れた水面の揺らぎなど多少違和感があったものですが、技術の進歩と見る側の慣れで、むしろないと寂しいくらいになってきたんじゃないかと思います。たまには手描きの雨や雪をと思うのですが、単なるノスタルジーでしょうね。

2010年12月7日火曜日

気付くと…

ブログ始めて丸2年過ぎてました。これからも、気ままにしか更新しないとおもいますが、よろしければお付き合い下さい。

2010年12月6日月曜日

現実になくても

剣で地面を割るとか、たまにアニメの中に出てきますけど現実の剣術でそういうアクションは無いので、自分は野球の投球ポーズを参考にします。大きく振りかぶって振り下ろすアクションがカッコいいのです。現実に無いアクションもそうやって考えるとそれなりに現実味を持って表現できます。日常の何気ない仕草も観察して覚えておくと意外なところで応用できたりします。ただ立ってるとか意外と難しいので駅で人が立ってるところとかついついじっと見てしまいます。

2010年12月3日金曜日

残ったもん勝ち

アニメ業界は人の出入りが激しくて、特に辞めていく人はどの部署もたくさんいますが、才能が無いと思っていても、10年位仕事が続いてると大体の人はそれなりの実力がついてるもんです。当たり前ちゃ当たり前ですが、継続して努力してれば年月が経つと才能の差があんまり気にならないようになってきます。スポーツ選手ほどには身体能力に影響を受けないので才能の差をある程度は埋められる時間があるから可能なんだと思います。まさに職人の世界ですね。商業アニメは集団作業なので職人の存在は欠かせまん。

2010年11月30日火曜日

コンテの書き写し

練習でコンテの書き写しをやってる人がいますが、ちょっと落とし穴があるんじゃないかと思います。売られているのは大体がアニメーター出身の絵のうまい人のコンテですが、うまい絵のコンテは一枚の絵の完成度ばかり目に付いて、コンテの要素を見失いがちなんじゃないでしょうか。なので、書き写す時、あえて簡単な略画にして書き写してみたらいいと思います。そうすることで、絵の要素を分解して考えることが出来て、情報として何が重要なのかもみえてきやすいと思います。

2010年11月28日日曜日

非実在…の件

また非実在青少年健全育成条例改正案が提出されてますけど、この法案の是非はともかく法案に賛成の人たちのような考えは消せないだろう。自分たちの見たくないものを規制しようとする動きは。アニメもタバコと同じ扱いで規制されかねない。タバコを吸いたくない人たちと同じに、ポルノの様なアニメは見たく無い、という人はいて当然だと思う。だって、作ってる方だって、これ大丈夫なの?と思いながらつくってることはままあるのだから。自分の子供に裸の女の子が出るようなアニメは見せたくないという人たちと、どのように折り合っていくかというのは真摯に考えるべきと思う。表現を法律で規制するのは反対だが、表現する方も、それなりの作法を考えないと廃れていくだろう。

2010年11月15日月曜日

メソッド化

演出にしろアニメートにしろ体系的な教授法を作ることはできるのか?というのは重要な問題だけれども、アニメ業界においてはもっぱら口伝が中心なのかなと思います。音楽なんかだとメソッドというのは(良し悪しは別として)かなり活用されている感がありますが、映画なんかはどの程度のもんなのか?ちょっと自分は詳しくないですが日本の大学では、演出だとこういうメソッドがあるぜという話は聞いたこと無いです。ハリウッドなんかの教育方法はどうなってるんでしょうね?日本だと能とか歌舞伎とか伝統芸能の世界はメソッドがあるんじゃないかと思いますが、文献にはなってないのかも。風姿花伝とか、これ以上は文章では無理なので口伝でみたいな事がいっぱいかいてあるし。昔は印刷技術が発達してなかったからという事情もあると思うんですけど、今だったらもっと詳しいのが書けるんじゃないかと思うんですが。幼少時はまずこういう訓練をして…とか。映画理論とか文献は沢山あるんですけど、どれとどれが基礎教養みたいなのも解りにくいかも。エイゼンシュタインのモンタージュ理論くらいは、さらっとやるのかな?私まともに読んで無いですけども(^^;
認知心理とか割と科学的な方向からのアプローチはちょっと少ない気がしますね。イマジナリーラインが発生する理由とか科学的に語れそうな気がするけど。デッサン上達するためには解剖学やるとか。効率よく教え学ぶための何かは必要かもしれませんねえ。

2010年11月7日日曜日

クロノス時間カイロス時間

クロノス時間とは時計で時計で測れるような物理的時間のことでカイロス時間とは「時熟」と訳されるギリシャ語で人間的時間を指すそうですが(斉藤環「戦闘美少女の精神分析」より)アニメにおいては、もっぱらカイロス時間が支配しているのかもしれません。カイロス時間は友達と楽しく遊んでいるとあっという間に時が過ぎていく、というような感覚的時間を表現しているようですが、映画とかアニメでいうとスローモーションがその最たる表現です。が、アニメの場合特にという気がしますが、編集されている映像の構成全体が実時間より感覚的な時間の表現に主眼に置かれている気がします。アニメの演出はセリフのテンポ(セリフ自体の長さというよりセリフとセリフの間)は基本的に演出家が決め込んでしまわけですが画の情報量の少なさなどもあって、実際の人間がしゃべるような間だと遅く感じることが多いです。だからといってポンポンとしゃべらせ過ぎると観客が意味をかみ砕く余韻が無く、せわしなくなってしまいます。音と言うのはとても現実的な時間を有していますからクロノス時間に従属してると言えるでしょう。音のスローモーションて普段知覚すること無いですもんね。一方視覚の方は割と自在に伸び縮しやすいのではないかと、それは結構体感できるのではないかという気がします。しかし、アニメにおいては基本的には音は画に従属するものですから、画の方の時間に影響を受けます。アニメも映像表現の端くれですから基本的には映像の時間が表現の主眼に置かれるわけで、やはりカイロス時間に支配されやすいのではないかという気がします。映像のテンポだけで編集した時に、音を付けると全然カットの尺が足りないなんてことがたまにありますけど。映像の編集という作業は基本的に実時間の伸縮を操る作業ですから、編集という作業を通った映像は、すべからくカイロス時間に支配されているといってもいいのかもしれません。

2010年11月3日水曜日

紙の大きさ

地デジ化に向けてほとんどの作品がHDで制作されるようになったと思いますが、紙の大きさを大きくしようとかいう話をポツリと耳にしたりします。しかし、紙を大きくするとしても劇場と同じにするくらいでしょう。確かに今、大型のチェックモニターなどでみるとロングのキャラなどディティールがつぶれていたりするのが目立ち易くはなってます。今は拡大作画で対処しているの場合がほとんどだと思いますが、結局画面だとすごく小さくなるのに…とおもうこともしばしば。上手な人が描けばディティールが簡略化されていても絵として成立する場合も多いやにおもいます、あと色にも左右されますね。それにしても紙を大きくしたところで今の大画面テレビにかかれば何倍にもされちゃうわけで、きっとさらに細かいところが目につくようになるのではないかという気がして仕方ないです。今一番根本的な解決策だと思われるのは作画を完全にデジタル化することですが、機材や人を育てたりするのにかなり金はかかりそうです。つぎは3Dという大物も待ってますし、どうなっていくんでしょうかねえ?

2010年10月28日木曜日

ひとまかせ

どこまで人に任せられるかというのは難しいものですが、自分はなるべく人任せにしたい質で「長靴をはいた猫」みたいに担当原画マンがコンテ描いてつないでいくというやり方で作ってみたりしてみたいものですが、長編とかで無いと難しそうですね。総監督制度の総監督とかは近いものがありますけど、出来あがったものだけみてケチをつけられるとムカついたりはしますねww担当の人も色々やりたがる人もいればそうでもない人もいるので人それぞれでもありますが。ある程度長い付き合いのスタッフはやはり貴重でおたがいの得意とかわかってるとすごく助かります。お互い信頼できるスタッフが沢山集まるのは稀ですけどやはり一人のキャパシティが大きいと作品のクオリティも必然的に上がっていきますし。しかし有能なスタッフを集める育てるのはホントに大変ですよねえ。

2010年10月26日火曜日

いみ・イミ・意味

演出にしろ作画にしろ分析を加えるときに、それが何を意味しているのか何を伝えようとしているのかという考察を抜きに分析するのは文字どうり無意味なんじゃないだろうか。こういう原画を入れるとリアルに見えるよね、というところで終ってると、すぐに様式化して陳腐化してしまう。何故って、アニメーションは表現だから。表現と結びつかない考察は表現の考察じゃない。原画一枚一枚を全体の表現とどう結び付けられるのか、壮大な話ではあるけどそういうつもりで解析しないと作画の解析なんて無意味だろうと思うんだけどなあ。

2010年10月19日火曜日

最近読んだ本

菊池成孔・大谷能生著『アフロディズニー2』めちゃめちゃ面白いです。1巻読まなくても、楽しめると思います。オタクカルチャーが今どんだけ面白い位置にいるかということがよく判る。話題は多岐に渡ってますが全部アニメと絡めてるんでアニメ関係者必読です。特にハイファッションとの関係の話なんか興味深いです。

2010年10月9日土曜日

忙しいです

電車の中で居眠りすると進行方向と逆に倒れてしまいます。判っていても倒れてしまうんですけど。。
さて、秋番も大分始まってきましたね。まだあんまり見れてないですけど楽しみなのも何本かあります。本数も少しづつ増えてきたようですし不況ではありますが落ち着きを取り戻してきてるんでしょうか。来年はさらに本数増えてる印象があるので、仕事を受ける身としては一安心。とはいえ、まだまだ厳しいご時世ですので踏ん張らないといかんですねえ。

2010年10月5日火曜日

抽象性の確保

手描きのアニメというものは、どこまでいっても現実そのものを写した写真にはならない。代わりに抽象性を幅広く保持している。実写のドラマにおいてかわいい女優さんが演じてるキャラクター性はその女優が持つ身体にかなり拘束される。アニメにおいてはかわいい女の子のキャラクターであっても、それをアイドルみたいな女の子から自分の身近にいる女の子までかなり容易に置き換え可能だ。では、抽象度が高ければ物語に入り込みやすいかというとそんなことはなく、実写の方が絵的には明らかに現実と地続きなので世界観を受け入れるには実写の方がはるかに容易だ。
子供のほうがアニメをよく見るの理由は簡単だ。現実との判別がつきやすいからである。子供のころホラー映画など見た日には眠れないことも多々あると思うが大人になるにつれどんなにリアルに作ってあっても現実との判別がつくようになって客観的に楽しめる距離感が得られるようになる。もし、現実との区別が全くつかない物語映画があったとしたら、それは物語としての機能を発揮していないだろう。物語には観客が客観的にみれる仕掛けが不可欠なのだ。
基本的な仕掛けとして、導入部では物語世界に引き込む現実との敷居を低くする仕掛けが要求され、徐々に今度は物語から引きはがしていく仕掛けが必要とされる。
アニメにおいて最大の障害は導入である。物語を観客に読む価値のある現実と地続きであるものとして認識させるのが一番難しい。逆にそこを乗り越えてしまえばあとは容易い。
アニメファンのアニメキャラへの思い入れが尋常で無くなるのは当然だ。観客は一つのキャラクターを見ながらも、それぞれ別の現実や妄想に引きつけていくからだ。かわいい女の子のキャラクター一つから結び付けられる現実は、実写よりはるかに多様だ。
そのことが、現実をより充実させる想像力になるような作品を作っていくことが大事なんだと思う。

2010年10月3日日曜日

魔法少女の秘密

魔法少女ものの基本のお約束の一つに魔法について人に話してはいけないというのがあるけど、あれはやはり女の子的に萌えるシチュエーションなのだろうか?
男の子ものだとその手の約束してるのはウルトラマンくらいでしょうか?他人に話せない秘密を持ってる的ネタって他にどんなのがあるだろう。魔法少女ものにおいては親に言えない秘密を持つこと自体が成長物語としての重要な要素を担っている気がするけども、男の子の物語の中では機能しにくいのか?いやそうでもなさそうな気がするけど。秘密を持つって大人への階段ですよね。

2010年9月26日日曜日

聖地巡礼

聖地巡礼ってまあ昔からあったわけであえては言わなくても、特定の場所を舞台にして作られたアニメはいっぱいあったわけです。最近大勢の人ががそういう場所を意識し出したのってなんでだろうな~って考えるんですけど物語のリアリティーなんかよりも直接的な場所、現実空間とつながってると、そういうことがリアリティーとして機能するってことなんですかね。
確かに昔の作品は荒唐無稽なものほど空間的なリアリティーを精密に描くことで現実に引きつけようとしていたやに思います。ガンダムみたいなリアルロボットものと呼ばれるようなものとかその最たるもんですね。サザエさんにリアリティーが足りないとかいう人がいないのは世界観そのものが現実と距離が近いからです。しかし、いまは世界観と現実の距離とは無関係に空間のリアリティーというものは求められています。『けいおん』なんてあんなに描き込んだ背景で無くても成立するのにしっかり描いてあってそれが観客をひきつける強い魅力になってることは否めないと思います。
 逆に言うとどんなに荒唐無稽なものでも空間にリアリティーがあれば受け入れられるんでしょうか?
そのへんのさじ加減、線引きのラインがどこにあるのか考えるのは楽しそうです。

2010年9月25日土曜日

強調の仕方

映像で何かを強調するやり方はいろいろ有りますが、長い時間を使って強調する方法は判りにくいのかもしれません。コンテからぱっと読み取るのは、尺を気にしないといけないのでちょっと慣れてないと気付かないかも。映像の演出技術の中では編集のに分別される方法です。
1カットの尺を長く取る、一つのことを説明するのにカットを沢山積む、などもう一つ大きな枠組みになると強調したいシーンの時間を長くとる、ということです。
大雑把にいうと簡単そうですが、何を撮っているかなどによって見せ方も変わるので難しいです。
すばやいアクションだったらスローモーションとか同じアクションを違うアングルで何度も魅せるとか。。
 会話シーンだったらあえてカットを割らずに同じ構図を長く見せるとか。
ただ長く見せることは強調になることは間違いないです。でもアニメの場合とくにだと思うのですが長く見せるのは勇気がいる時があります。作画が大変になるのでは?とか間が持たないのでは?とか。
しかし、経験を積んでいけばそれほど難しい判断ではないだろうと思います。
アニメの場合コンテの段階である程度編集の形が見えてないといけないので、編集的な技術は常に磨くように心がけておきたいです。

2010年9月17日金曜日

ちょいつづき

コメントいただきましたが、西欧人の方が奥行きに対する欲望は深いのかもしれませんね。日本人はそれほど強くないかも。その辺の事は調べると面白いと思います。村上隆さんとかそういう日本人の感覚を強く意識して作品作ってますね。

全然違う話題(3D映像の妄想)

3D映画がどんどんふえてますね。自分はまだほとんど見てないんですけど(^_^;)
3Dの再現方式はしばらくは(永遠にかもしれないけど)視差を使った奥行きの表現にとどまりそうですね。ぐるっと360度どこからでも見られる映像というのはなかなか難しいみたいです。
しかし、妄想上は不可能なわけでもありません。最近はどうかわかりませんが、科学博物館なんか行くと円筒上になったアクリル板の中に映像が浮かんでるホログラムがよく展示されてたんですけど、あの方式を拡張していけば可能なのではないかと思います。ホログラムはフィルムに光の干渉縞を記録して元の物体の反射光を再現する(詳しい説明はむずかしい…)システムなので干渉縞を液晶何かを使って再現できるようになればきっとできるはず!!でもホログラムは撮影がとても難しいんですけど。
3Dは再現よりも撮影の方が難しい気がします。ある物体を360度から撮らなきゃいけないわけで、実際やったらカメラが絶対写りこむw
というわけで、360度どこからでも見れる映像が再現できる技術が出来ても中身の映像はきっとCGですね。やっぱりこれからはCGアニメだ!

2010年9月11日土曜日

エヴァともののけ2

書き出してはみたものの、何か大したことを分析できるはずもなく、当時の気分を整理するくらいのものでしかないなあ…世の中の師匠と弟子って大概愛憎入り混じってるもので宮崎さん庵野さんも例外ではないと思いますが、特に二人はあえて同じテーマで作らなくても作れるような立場にある作家で特に宮崎さんが多分庵野さんの作っているものを知っていたであろうに、あえて同じようなモチーフをぶつけたのが重要で、もしかしてエヴァの話はあえて知らないようにしていたのかもしれないけど自分は知っててあえてのことなんじゃないかと推測してた。エヴァはジブリでもグロスで受けてたので全く話を知らないってことはないんじゃないかと邪推してみたけど判りません。なにかそういうこと話してる本あるかもしれませんが。あの2作品にまつわる本の量たるや…ですから。
なんにせよ、宮崎さんはああいう主人公でやるしかない!と思いこんでアシタカを作ったに決まっているのですから、そう仕向けた時代の空気みたいなものは今でも分析する価値はあるでしょう。
一方エヴァを作った庵野さんは感覚というよりは知性というか非常に考え抜いてエヴァという箱をつくった。テレビの最終回を見た時もああやっぱりという感じで特に違和感もなかった。エヴァという何をやっても畳みこめるような抽象的な箱はだから形を変えて今も存在する。確かにあの頃の庵野さんは精神的に参っていたようだけど、そんな自分も徹底して客観視して畳みこんだのがエヴァで、そういう意味で宮崎さんよりは随分クールに時代を眺めていたのかもしれない。宮崎さんは、いつものごとく真正面から挑んで、もののけ姫になったにちがいない。
自分の主観でしかないけど、紅の豚辺りからどういう物語を紡いでいくべきか宮崎さんはすごく迷っていたと思う。(悩んでいたのは宮崎駿だけでは無い、物語不遇の時代だった。)もののけは宮崎さんにとって乗り越えなきぃけない時代の要請したテーマだったに違いない。庵野さんにとってもまたそうであったろう。出来あがったものは全然違うけども。

2010年9月2日木曜日

エヴァともののけ

ホントに暑い日が続きますねえ。
なんか、前から書いてみたいと思いつつ今更な感じもするし、批評みたいになりそうだけど書いてみたいから書いてみるみたいなテーマで。単に自分の頭の中を整理してみたいだけなんですが。
エヴァンゲリオンと、もののけ姫はほぼ同時期に制作されてました。テレビのエヴァを作ってる頃、もののけは準備してたくらいでしょうか。準備期間にジブリでエヴァを1本受けてましたから、ほぼ同時期の作品と考えていいでしょう。
ずっと気になってたのは、師匠と弟子がなんで同時期に似たような話を作ったんだろうということ。その辺掘り下げた書籍もあるんでしょうか?単体の作品では2つとも掘り下げられてるけど関係性を論じてる本あるなら読んでみたいです。
宮崎さんにせよ、庵野さんにせよ、それまで扱ったことがない内向的な少年をテーマにしていて話の大きな構造も似てる。エヴァはまだ庵野さんがそれまでも扱ってきたモチーフが散見されるけど、もののけは宮崎さんがこんな陰気なもの作るんだということに当時の自分は驚きました。
シンジくんもアシタカも自分のことを忌むべき存在として扱ってる。宮崎さんはエヴァの話の大枠は知っていたはずだと思うのですが、だとするとあえて似たような主人公をぶつけたことになる。
あるいは、宮崎さんは似ているとは思ってなかったのかもしれない。または、エヴァのストーリーはあえて読んで無かった可能性もあります。いや、やっぱり知らなかった可能性は低い気がするなあ。絶対庵野さんに電話して説教食らわしてたんじゃないかと邪推してるんですが。
いずれにせよ、宮崎さんは方向性を変えられるスケジュール的な余地はあったと思うけど、そうしなかったということはシンジくんアシタカを貫くキャラクターに重要性を感じていたということなんでしょう。二人は同じ時代に物作ってはいても、方向性が重なることは無いですが、この2作品だけは何か似たような方向性を持っていて両方大ヒットを飛ばしたというところもまたすごく似ている。
逆に、2作品の違いを考察すると2人の作家性が浮かび上がってきそうです。
いや二人の作家性なんて論じてる本は山ほどありますが、この2作品は自分はいつもセットで考えてしまう。不思議な相関にある気がするんです。二人がこんなに似たようなテーマで作品作るなんて、もう永遠に無いと思うので。

2010年8月15日日曜日

いい原画

昨日金田さんの特番がやってましたが、結構原画残ってるんだなあと。多分もっと残ってるんでしょうけど、ああいう原画に触れられる機会があるといいですね。コピーでもいいから。業界全体でお金出してアーカイブつくれるといいなと思います。演出もいい原画見ないと伸びないです。

2010年7月25日日曜日

ホントに暑いですね

スタジオはクーラー必須ですね。通勤だけで体力を消耗しそうです。夏は嫌いじゃないですがスタジオに入ってじっとりとかいた汗には困りもんです。話は変わりますがやっぱりアニメーターさんの平均のレベル下がってるんですかね?1原と書いてあるレイアウトが明らかにレベル低かったりすると哀しくなりますね、ほんと。しかし、うまい人も増えてるのは確かなので制作がいい条件を提示できてないってことなのかなあ。やって楽しい、とかネームバリュー的に付加価値があるとかいう作品でないとなかなかいい人は集まらないってことでしょうけど、それにしても…。でも単価だと原画料6000~8000円くらいでないと東京じゃ暮らしていけないもんなあ。月に50カット以上コンスタントに仕事が回ってる原画マンなんてなかなかいないだろうから。テレビでもそれなりの人が捕まらないとこっちもつらいです(^_^;)

2010年7月23日金曜日

すっかり夏

しばらく、忙しくて放置してしまった。うだるような暑さ。夏になってアニメ業界の景気は少しは回復したのだろうか?日本の景気が全然なのに簡単に回復するわけないか。本数は少し持ち直したみたいだけど、実感的には去年よりは仕事減ってる感じ。制作の人探しに対する焦りが以前ほど感じられない。売り上げはなどどうなんでしょーね?ちゃんとしたデータ持ってないんで判らないけど。今年の夏もアニメ映画が目白押し。ジブリは抜きんでるでしょうが、それに続くのはいったいどの作品だろう。個人的にはカラフルがどのくらい健闘するのか興味があります。ジブリと肩を並べるとまでいか無くても売上的に健闘した作品が毎年ポツポツあるといいなあ。制作にあまり時間をかけすぎないというのは映画においても割と普遍的な商売の鉄則な気がします。ジブリですら実制作は1~2年ですもんね。

2010年6月11日金曜日

業界のレベル

先輩のアニメーターと話すと良く出る話題に最近のアニメーターのレベルが落ちたというネタがある。ただこれ10年以上前から言われてて、確かにと思うところと、いやそんなことないでしょと思うところがある。例えば昔はアニメーターは何でも描けなきゃいけなかったという人がいる。けど、20年以上前からメカエフェクトとかしか描けない人もいたわけで、それってアニメ創世記のころの話でしょ?と思ってしまう。気になるのはうまい人の割合が減ってるのかということだが、これも一概に時系列で比べることは出来ないと思う。やってる作品の内容も作画のクオリティーも平均的には昔より明らかに上がっているし、作品の本数が増えた分、人も増えた。うまい人が減ったのかというと、そうではなくて偏りが大きくなったのではないかと思う。確かにテレビの作画監督などでは力量不足なのでは?という人がやっている場合も多々見受けられる。しかし、比較的大きな会社などでは新人でもかなりうまい人などがいるし、やはり金のあるところには人が集まってる印象がある。金のないアニメ会社はもっとシビアな制作管理をしないと人がバタバタ倒れていくだけかもしれない。作品のコスト管理には演出が実は非常に大きな役割を担っているので、そういうコスト感覚を持った演出を育てることは大切だと思う。話がそれてきたが、人材の格差が激しくなったということはあるのかもしれないと思う。ルーティーンワークで制作しているだけではクオリティーを維持し続けるのは難しいことだけは間違いない。

2010年6月9日水曜日

セリフの作り

いわゆる説明セリフというのがある。絵で判りそうなものを確固として解らせるために入れるセリフである。あるいは、絵で見せきれない事柄を説明するために使ったり。説明セリフは無きゃ無いでいいようなもんである。しかし、昨今はみんな過剰に説明してしまうけ港にあるやに思う。それには色々理由があると思うので一概に悪いとは思わないが、やはりたまに過剰であると感じる。バラエティ番組などの字幕は説明セリフに他ならないが、ボーっと見ていても解るというようなためにいれてある。アニメの説明セリフもぼーっと見てたって解るようなためにみんな入れてしまうのかもしれない。よく打ち合わせなんかで口にするのが「これ解るかなあ?」という言葉である。もちろんどうしても解らせたいことはある。しかし、何でも解らせなきゃいけないのだろうか?もちろん否であろう。DVDで何回も見てりゃ解るよ、ということではない。5年10年たって自分が成長して初めて解るドラマのディティールもある。そういうこともあるかなと思う。観客一人ひとり解釈が違ってくるような作り方もあると思う。言葉にすれば何でも伝わるわけではないのだから、言葉に頼り過ぎるのはどうかと思う。何せ映像表現なのだから。

2010年6月7日月曜日

素朴な疑問

作品ごとに予算や会社の体力は違う。たまに明らかにそういった枠に入りきらない作品を作ろうとする監督がいる。そういう人は決まって作品が面白くなかったら意味がない的な発言をするが、まともに出来あがらなかったら作品にならないし面白い以前の問題になる。作品の枠組みぎりぎりを狙って作るのは監督の手腕だと思うが明らかに枠を飛び出したものは見合うスタッフが集まらなかったりお金が足りなくなって揉めたり、双方ボロボロになって終わることが多い気がする。自分の経験だと出来るかなと思うところから1ランク下げたくらいで出発してギリギリ最後まで走り抜けられるというきがする。自分の能力、予算、スタッフの能力などを分析して戦略を立てられない人はこれからはシビアに生き残っていけない気がする。といいつつまだまだ、評判悪くても名前のある人を使うことが多いけど。

2010年6月5日土曜日

ひさびさ

さいきん放置しっぱなしだったので更新。どうも、三菱が電動鉛筆削りを生産中止にするらしいとの噂を聞く。なるほど、そこから来たかという感じだが手動かカッターで削るかあるいはタブレットにして紙を廃止するか、そのうち選択を迫られるかもしれない。自分は商業アニメに関してはデジタル推進派なのでタブレットに一票という感じ。しかし、鉛筆じゃなくて削り機の方が無くなるとは。考えてみれば納得だけれども、意外だった。電動の鉛筆削りが無くなったところで結構やっていける気はするが、時代が変わってくのはひしひし感じる。セルが無くなっって行く時も一抹の寂しさを感じたが今回も似たものを感じる。しかし、最近は子供に電動鉛筆削りなんて買わないのだろうか?学校の先生とかも使わないのか?結構色んな場所で使われているものだとばかり思っていたのだが。新しく出来たり廃れたり。100年後アニメはどうやって作っているのだか。アニメが無くなってるってことももちろんありうるだろうけど。

2010年5月8日土曜日

崩壊

現状のアニメの作り方って崩壊しつつあるんだろうなあ。何か制作体制から何から業界構造がばさっと引っくり返るような変革がないとみんな儲からないし、面白いものも出てこないんだろう。面白くしたいなあ。

2010年5月5日水曜日

アニメーターを育てる

文化庁が国費を投入してアニメーターを育てるそうだ企画を立ててるようだ。才能を育てるのはいいんだが育てっぱなしにならなきゃいいなと思う。朝日新聞の記事によると立案の理由の中に海外への動画作業の委託によってアニメーターが育つ環境が無いようなことが書いてある。同じことを言う人は沢山いるが自分はピンとこない。だって、仕事があっても辞めてく若いアニメーターを山ほど見たから。仕事が沢山あっても食えないから辞めていくのである。大体今の動画マンが、ひと月に描ける平均的な動画枚数は300枚から400枚くらい。1枚の動画単価がテレビだと200~300円。手取り10万円稼ぐのは容易ではない。東京で暮らすとなると、超ぼろアパートでも3万くらい。光熱費、食費は相当切り詰めないと厳しい。年金なんて払えるわけない。役者やミュージシャンの卵のようにバイトで稼ぐような時間もない。成功すれば大金を稼げるようになるかというとそれもたかが知れている。そこそこ稼げるようにだってなるのは大変。未来に希望が見えないのに現状の辛さに耐えられるわけがない。
アニメーターは職人だが、職能集団を維持していくのは容易ではない。アニメ産業自体、地盤がしっかりしているわけではないから。でもアニメーターを志す若い人は沢山いる。そのなかから少しでもいいアニメーターが出てくればとも思う。
今回の企画は、記事には企画公募とあるが6月から始動とあるので公募は形だけのものかもしれない。文化庁のホームページにはまだ詳細はないようだ。 記事にある30分に3千万超の予算が制作費として現場にそのまま落とされればそこそこのお金がスタッフにいきわたると思う。(作画インから3ヶ月くらいで完パケればだが)テレビアニメの予算がこのくらい出ればアニメーターたちも他のスタッフもそこそこ食べていけるようになると思う。そういう指針になってくれるとよいのだが…。

2010年5月2日日曜日

透視図法

更新頻度がえらい下がってしまった。頑張って書いても長続きしないので気長にお付き合いください。
やはり、新人のアニメーターは皆こいつに苦労するようで。結構パースの本は色々でてるので、自分好みのものを買って勉強すればいいと思うのだが、確かに本だけでは理解しにくいところもあるかもしれない。2点透視でも消失点が画面の中に全ておさまっていることはあまりないので、その場合紙を足して消失点を描くか感でパースラインを引くことになるので、その辺は本を読んでも結局判らないかもしれない。初めは紙を足して描いてある程度感が磨かれたら感だけで描くのがいいかも。いちいち紙を足してると時間がかかりすぎるので。ちゃんと描かないともちろん判らないこともあるけど。デジタルのツールだとパースラインを示してくれるのもあるので紙をなくしてデジタル化してしまった方がテレビアニメに関してはいい気がするのだが。
レイアウトでパースをつけすぎて失敗してる事がよくある。手前になめこんだキャラクターなどを大きく描きすぎて空間のパースとあっていなかったり。画面に向かって指差してるのを魚眼で撮るようなレイアウトで説得力を持たせるのはなかなか難しい。魚眼の撮れるデジカメなどで人をとって試してみるとか必要かも。あと、消失点がすべて画面の中に収まることは、1点透視以外はほぼ無いし想像以上に遠くに消失点があることが多いと思っておいた方がいいかもしれない。
もうひとつ、ありがちなのがアイレベルが違うパースが一つの画面の中に同居しちゃってる場合。これが一番ありがちで、おかしなレイアウトに見えるかもしれない。消失点は必ずアイレベル(視点の高さ)上に現われるのだが、アイレベルが一つに統一されているだけでも結構パースはごまかせたりする。
本当は、物語で使うレイアウトとして実際のカメラでは撮れないような絵を必要とすることはままある。実際の映画でも背の低い俳優を大きく見せるためにセットを少し小さめに作った例もある。
アニメだとキャラクターの身長を変えたりとかはよくやる嘘だ。こういう嘘を感じさせずにレイアウトをつくれるようになると素晴らしい。嘘とわかったうえで描いてるのが味噌で、何となくで描いていてはだめだと思う。
最後に自分が読んで判りやすかったパースの本のリンク貼っておきます。

「感で描くパースのコツ」田中英介著

2010年4月21日水曜日

仕事の窓口

色んな人がハローワーク的に自分のあいてる予定とかを登録して制作が勝手に見られる場所があるといいんじゃないかしら。制作も募集中の仕事を掲示してスタッフが見れるような。最近、業界の仕事量も減ったしいい腕を持ってるのに仕事がうまく回らない人にはいいんじゃないかな。まあ、お互い初めて仕事するときは色々リスクはありますが、出会いの場が少し少ない気がする。googleカレンダーみたいなもので大雑把なスケジュールとか判るともっとマッチングとかうまくいくのかなあ、なんて思いました。知り合いの制作でもちょっと間があくとお互い連絡しにくくなっちゃうしね。ただ、パスワードとか作らないと秘密のプロジェクトはばれちゃうから制作会社が自分の予定を公開するのは難しいのか。その辺は問題だなあ。

2010年4月14日水曜日

重くなったからだ

メジャーになると人に強い影響力を持つようになれるが、反面新しいことや小さなことはやりにくくなる。アニメというメディアは随分メジャー化してしまったのかもしれない。予算的にも基本的には大きなものが中心で、小さい商売というのが成り立ちにくくなってる気がする。しかし、作品の質や幅を保持するためには新しいことをやる場所が必須で、いまはマンガにその部分を担ってもらってる感じだ。なんとか、デジタル環境を使ってアニメの制作者が企画を育てられる場所を作るのが、しばらくの間の自分の目標になりそうだ。結構時間はかかるかもしれないけど。

2010年4月9日金曜日

枚数制限

枚数制限が厳しい作品のコンテは難しい。シナリオ発注するときに枚数言ってあるのか?と思うものも…まあ、ト書きとか段取り芝居バッサリ切って対応するしかないわけですが。アニメっつーよりは動くマンガくらいの感覚ですね。それはそれでおもしろいのですが、向いてない題材と言うのもあると思うわけで…たまに書いたと思ったらただのぐちになってしまいました。

2010年4月4日日曜日

メディアとスピード

メディアというのは常に早く物事を伝達したいという欲望を持ってる気がする。文章なら手書きから印刷へ。
映像も手書きの絵画から写真へそして時間軸という情報量をもった映像へ。より速くより多い情報を。ネットはあらゆるメディアを統合しつつスピードも今までのメディアと比べ物にならない。ネットはスピード感をもったネットメディアを求めている。アニメもそれに対応した作り方を考えていかなきゃいけないと思う。

2010年4月1日木曜日

演出の基礎

基礎が身につくまでどの位かかるのか?というコメントがついていたのでお答えしまが、人それぞれなのでかなり、大雑把な感じにしか言えません。
まず、演出家の仕事は大きく分けて2種類あっていわゆる演出(演出処理と呼ばれることもある)と絵コンテを描くことです。
一般的には、演出処理の方がとっつきやすいかと思います。アニメーターなど周りのスタッフに助けてもらえることもあるので
自分の力量が無いときは他人に甘えられるからです。2年くらいやっていれば基礎は身に付くと思います。2年やって認めてもらえない時は向いてないかもしれません…。コンテの方は1人でやるので技術の未熟さがもろに出てしまうために簡単に仕事は来ないことが多いです。これは、師匠を見つけて教えを乞うにこしたことはありません。そして、2、3年やって誰にも認めてもらえない時は向いてないかもしれません…。やはり、演出に向いてない人はいるのですが、そこを見極めるのは難しい。あるスタジオを追い出された人が他の場所で超有名になるなんてことはよくありますから。
あと、いきなりコンテ描いてそれなりに出来ちゃう人もいれば結構時間がかかっちゃう人もいます。師匠の側でも、教えるのがうまい人ヘタな人がいます。いい師匠を見つけることも上達への近道です。
演出の場合は、表現の技術だけではなくてコミュニケーション能力なんかも問われます。それなりに、満足のいく仕事ができるようになるまで10年位かかると思ってます。仮に自分が師匠であれば3年位でそこそこ使える演出は育てられるのではないかと思います。

2010年3月28日日曜日

非実在青少年とか

都の法案自体は色々な人が問題を指摘してるのでさておき、何故繰り返しマンガやアニメやゲームを子供に悪影響があるとして槍玉にあげる人がいるのか、という事は考えてみるべきと思う。自分が考える一つの理由は、「子供向けのものに大人がコミットする気持ち悪さ」だ。これは、サブカルと呼ばれるような物が一般的に抱えている怪しさの根本だと思う。ある物が想定した消費のされ方とは、別の文脈で消費しようとする事の面白さが同時に怪しさにつながってるのだと思う。その嫌悪感を持ってる人は拭い去りがたくいてまあそれは当然という気はする。逆にそういう捻じれががほぐれた時、たとえば今のテレビみたいにメジャー化してバラエティーで言ったことが素直に信じられるようになったら(あるある大辞典など)それは健康な状態なんだろうか?と思う。少し眉に唾をつけて見ていてもらうくらいがちょうどいいんじゃないかと、個人的には思う。ただし、広い観客を獲得していく作品作りは当然必要と思う。単純な問題ではないのでどういう作品を作るべきか真剣に考えなければいけない。

2010年3月27日土曜日

健康ってすばらしい

鬱になったり大きな怪我や病気をした時、現状、業界では何もケアされない。アニメ業界に限らず過酷な職場は増える一方で社会保障とかは現実に追いついてないし。自分の周りでも哀しい出来事が起こって、しかし、自分も何もしてあげることは出来なかった。でも、何か出来ることを考えないといかんなあと思う。小さな事からでも。ただ、まずは自分の体を大事にしようと思う。でないと、人に何もしてあげられない。

2010年3月13日土曜日

倉庫の肥やし

いま、流通に乗らずに誰にも見られることなく眠ってる作品てどのくらいあるのだろう。そういう作品をデジタル化して小さい画面でも無料で観られるように出来ないだろうか?そこで再生回数の多い奴とかはクオリティーの高いパッケージを作って出すとか。映画とかも倉庫の中に眠っているよりは少人数でも誰かに見られている方が幸せだと思う。デジタル化するのはお金がかかるだろうから、難しいのかもしれないけど、それこそ税金使ってちまちまとやってけないもんだろうか。古い映画をかける映画館も減ったし、CSとかでその分補えてるんだろうか。できれば無料で観られる環境がいいけどなあ。

2010年3月12日金曜日

いいものみた

熱情ってやっぱり画面に宿るものなんだなあ。もちろんしっかりとした技術に裏打ちされてるんだけれども。その枠を超えてあふれ出てくる熱情を見るのは楽しい。技術は人と人をつなぐ管みたいなもので熱情はその中を伝わっていくんだろうなあ。ぽかぽか

2010年3月7日日曜日

各話演出の領分

各話のコンテマンや演出は作品をどの程度理解していればよいのか、というのは結構難しい問題。監督のように立ち上げから付き合うわけではないので、例えばある脚本がどうゆう経緯で出来たかなどということは知る由もない。重要なことは監督が伝達しなければならない。実際のところ一本の演出をやるのに、すべてのシナリオにめを通すのは大変な労力である。もちろん担当話数の内容によっては必要なこともある。最後の方の複線回収の話数などは監督がコンテを切る方がよいのだがなかなかそうもいかない。ほとんどの場合は前後話数のあらすじを理解しておけば、大きく間違うことはないのだが、細かいネタを仕込めるほどに各話演出が全体を読み込むのは難しい。したがって、各話の大枠を各話演出が組んで、監督が微調整という姿が理想的である。(原画と作画監督も同じような関係性かもしれない)しかし、各話演出の個性というのは当然にじみでてしまうので、それぞれの個性に合った話を割り振れるかというのは作品の成功のカギの一つと言える。

2010年3月2日火曜日

音楽の拘束力

音楽が映像を規定する力はすごくて、同じ映像でもついてる音楽が違うと全く違って見えたりします。ワイドショーなんかでレポーターと普通の住宅街しか映ってないような映像でも、そこに緊張感のあるドラマティックな音楽(アニメのBGMがよく使われるけど…)がかかると、それだけで観る方の気分は変わったりします。ドラマの中でも基本的には映像のキャプションとして音楽は機能します。
基本的には、と書いたのはドラマの中に出ている人物がその場面にかかる音楽に合わせて踊るような場合もうすこし違う関係性が生まれるからですが、音楽(サウンドトラック、BGM、劇伴としての)はドラマの中で実際に存在する音とは別に、一体音楽がどこから流れてくるんだという問いかけをされないままに存在することが出来ます。まあ、しかしこの拘束力はうまく使わないとただの映像の補足になってしまったりしがちなので難しいんですが。登場人物が楽しい気分で歩いている。それを補強するために楽しい音楽をつけるとしても、どの程度楽しい音楽をつけるかによって意味合いが変わってきます。
あまりに派手な音楽をつけてギャグになってしまうということも起こります。
また、効果音も音楽の一つとして捉えられるため足音とぶつかるような音をつけると失敗するということも起こりえます。(あえて、音と合わせることをミッキーマウシングといって映画だと最近流行りませんが、アニメだと面白い場合もあるかもしれません。)
画面上で爆発など起こる場合、効果音とぶつからないようにぱっと休符をいれておさまると同時に鳴り出すとかは基本的なテクニックだったりします。(日本だと流しっぱなしの場合も多々見受けられますが…)
言葉でキャプションをつけるのと同じで、より世界が広がる方向性で音楽をつけることが大事なんですが…難しいですねえ。

2010年3月1日月曜日

キャラ崩れ

手描きの場合、描き手によってどおしてもある程度キャラクターのニュアンスが変わってしまう。それは、描き手が一人の場合でも起こる。時間とともに熟練して最初のころの絵と変わってしまうのはよくあること。じゃあ、3Dのキャラはキャラ崩れしないかというと、マンガ的なディフォルメをされたキャラクターの場合、写す角度によっては美しく見えないことがある。手描きの場合は、違和感を感じさせないようにしながらも立体的には嘘をついて美しさを優先する。
キャラクターが現実の人間の造形に近づくほど写して立体的に違和感を感じる角度は少なくなるわけだが、それとキャラクターの同一性を保てるかどうかはまた別問題になる。
現実の人間でも、角度や表情によっては全く別人に見えることがあるくらいだから手描きでも3Dでもまた然りである。
手描きの場合かなりの嘘をついてることもあるので、演出の段階からそれを踏まえておく必要のある場合もある。有名な例だと、鉄腕アトムやあしたのジョーの髪形。キャラの目線の付け方なども気をつけないと、見ていてほしいところを見てくれない。マンガ的な顔の平べったいキャラの場合頭ごと向かせないと黒目の位置だけでは目線を表現できないことがままある。
手描きにしろ3Dにしろそれぞれの特徴を生かしたキャラクターの造形というのをもう一度考えた方がいいのかもしれない。

2010年2月25日木曜日

直った、そして撮影

Bloggerの調子がしばらくおかしかったので投稿できず。やっと直ったみたい。
最近はAfterEfectsとか使える演出さんがちらほら。そういう人の作品を見ると勉強になります。技術的にというよりは感覚的に自分じゃ思いつかない感じの画を作る人ととかがいてなるほどとおもったり。デジタルになって各部署が浸食しあいつつあるので色々面白いことが出来るようになりそう。
問題かなと思うのは現状は最終的な画面作りは撮影が非常に大きなイニシアチブを持っているので、そこで起きた問題がフィードバックされにくいということ。
演出でいえば素材不備やシートのミスなど撮影で直そうと思えば出来てしまうため土壇場で撮影が直したりしたものを演出が全く知らないままに仕事が終わってしまったり。もちろんフィルムでも同じことはあったのですが撮影だけで直せることはデジタルに比べれば圧倒的に少ないので、怒りの電話や手紙とともに演出に帰ってくることが多く、それは勉強になるわけです。
とくに、難しいと感じるのは色の問題でキャラにしろ背景にしろ撮影でかなりいじり倒せるので、元の色が何だか判らないということもあります。せっかくつくって、演出のOKが出た色がかえられたとあっては仕上げや美術にしてみればじゃあ、全部ノーマルで作っとけばいいんだと、すねたくもなるわけです。じゃあ、撮影は何もやらなくていいのか?といえばそんな訳はなく、結局話し合うことが大事という至極アナログな結論に到達するしかないんですけど。そういうとき、例えばコンポを各部署が少しいじれたらここはこうしてくれとかフィードバックできるのかしらと思うのですが実際にはいろいろ問題もありそうです。

今の撮影はフィルターワークに大きく傾いている傾向があるので、あまりそいうものを必要としない作品のとき何が出来るのかということももっと考える必要があると思います。
撮影という作業はアニメの画作りの根幹になっていることは間違いないので、そこを基点にもう少しシームレスに各部署がつながるといいなあと思います。

2010年2月23日火曜日

演出家志望の人へ

若い演出家志望の子はどの現場に行っても何人かはいます。
今の現場にも話を聞くと演出家志望だという人がちらほら。大体は制作進行をやっているわけですが、とりあえず、絵コンテを描いてみなよ、とアドバイスするのですがなかなか描いてみせにくるところまでたどり着く子はいません。実際、進行の仕事は大変なのでなかなか時間が無いのは判るのですが、練習で描いたコンテとか何かきっかけがないと、こちらもなかなか仕事を振ったりとかはしにくいんですよねえ。本人のやる気がなにか垣間見えないと、育てる方も不安に駆られてしまうので。
あとは、進行の子だと基本社員だったりするのでこちらが現場を移動したとき呼びにくいということもあります。ただフリーランスになれば、当然収入は保障されないわけで、もちろん可能な限り仕事の斡旋はしますが、うまくいくいかないはやはり本人次第なことが多く、こちらもフリーランスを勧めるのはある程度慎重になります。
どんな人が演出に向いてるかとかは、究極的にはよく判らないです。今、すごく有名な人でも昔あの現場では使えない奴だったんだよとか言う話はよくあります。自分もそうでしたし。
ただ、オーソドックスなことは教えられれば誰でもできるようになると思うので、基礎のしっかりした演出家を育てることは可能だとおもうんですが、実際には基礎を知らない人は結構いるみたいです。
技術を向上させるには人から教えてもらうことと数をこなすことの二つが近道だと自分は思うわけですが、数の方は自分の力だけではいかんともしがたいところがあるわけですが、師匠を探すことは自分でできると思うので、激しくお勧めします。
数の方も若いうちは失敗して当然ですから、怖がらずにチャンスがきたらなるべく食らいつくことをお勧めします。こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、失敗してそこの会社から二度と仕事が来なくなったとしても真面目にさえやっていれば、他からきっとチャンスがきます。ただ、一回一回何か自分で具体的な目標を作った方がいいです。具体的といっても、このシーンだけは絶対面白くするとか、このキャラのこういう側面がクローズアップされる回だからそこをキチンと考えるとかコンテのスケジュールをなるべくまもるとか…自分なりにその話数や現状の自分の目標を立てて一部でも達成されればよしとして、次に生かしつつ少しでも向上していければいいのではと思います。
演出家はなった後の方が大変です。収入も不安定だし向き不向きもあるし、勉強しなくちゃいけないことは山ほどあるし、パッションみたいなものも維持していたいし。それでもという方は、面白い仕事なので ぜひ頑張ってください。自分もできる限りのことをしていきたいです。

2010年2月18日木曜日

こんなコンテはいやだ

まじめにやると超面倒な芝居なのに、コンテの芝居の指示があんまりないうえに尺が超長いカットがある…

2010年2月16日火曜日

こんなシナリオはいやだ

いきなりその場にいなかった人が会話に加わっていたりする時。あれ…ト書きにも何もないよね、密室だよね…

2010年2月15日月曜日

ドラマ(2)

コメントつけてくれた方がいたのでちょっと続きを。
アニメの商売の現状として、原作があろうが無かろうが物語がメインというか、それ以外が地味だとなかなか売れてくれないというのはみんなの共通認識だと思うんです。
現状のアニメの商売ではDVDが売れてくれないとメーカーや制作会社的には次の商売につながらない場合がほとんどだと思います。(玩具などが絡んでいる場合ソフトそのものが売れなくても次につながっていくということはありますが。)
でも、現代は物語だけでは売れにくい。というのは随分前の本ですけど東浩紀さんの『動物化するポストモダン』など読むと判り易くまとまっているのではないかと思います。
で、原作つきでもオリジナルでもいいんですけど、多少地味な話でも(アクションとかエロとか少なめでも)作れるような環境は確保しときたいなあ、というのが個人的な目標です。売れない売れないといっても潜在的な視聴者はいると思うし、安くてもいいもの作る方法はないだろうかとか、考えなきゃいけないことは山ほどありますけど手を動かしながらやっていきたいです。
コメントにあった、シナリオライターやコンテマンの技量の問題は物語が売れる売れないとはまた別の問題です。ドラマの底上げはもちろん大変ですが、職人の技量とは関係なく物語というものが共有されにくい時代だ、というのが自分の問題認識で、思想家とか含め現代社会の多くの人がぶつかっている問題だと思います。
それとは関係なく若い人に技術を出し惜しみなく教えるのはベテランの務めかと思ってます。
それが、回りまわって良作を生み出す原動力になるとも信じています。
PS
東さんの編集されている思想地図も参考になるかと思います。4号目はアニメの話題が中心ですし現状把握の参考になると思います。未来のことは自分で考えないと駄目ですけど。

2010年2月8日月曜日

クリエイターの矛盾

アニメ業界に限らずクリエーターは矛盾にさいなまれる。いろんな人に見てもらいたい聞いてもらいたいということと、どうやったら食べていけるかということの間で。もちろん、たくさんの人に見てもらってお金も儲かればいいのだが、お金がある人しか見ること聞くことができないのかと考えた時いやそれはないでしょうと誰しも考えると思う。ミュージシャンはだれかが吹いた口笛に印税をかけたいのか。そんなバカな。アニメだって基本的には今までずっとタダで提供されてきた。TVの放映はTV本体の代金と電気代さえ払えばコンテンツ自体はほぼ無料。ネットでタダで見ることに違和感を覚えるわけもない。不法アップロードがDVDの売り上げを落としてると言われても実感が湧かないのは視聴者に限ったことではない気がする。ネットのインフラはどんどん整備されてブロ-ドバンドの限界費用は限りなく無料に近づいていきそうだ。この流れが不可逆なのは間違いない。我々の作っているコンテンツも常に無料になりたがっている。アニメの放送にかかる費用が限りなく無料になった時、はたしてどうやって生計を立てようか。ミュージシャンなら生身がある。データとしての音楽はタダで配って、生身のライブに人を集めるという手法は、アメリカでは一つのビジネスモデルになりつつあるようだ。われわれにも生身はある。映画館で配られる切りだしのフィルムに100万円もつぎ込むのだったら、もっと安い値段でもキャラクターデザイナーがきっと丹精込めて絵を描いてくれるに違いないと思った人は少なくないはずだ。道はきっとあるに違いない。この本はいろんな人が読んどいたほうがいいかもしれない。

2010年2月7日日曜日

ドラマ

原作付きでもなければ、ドラマがメインのアニメはなかなか商品にしてもらえない。実際売れるオリジナルアニメなんてほとんど無いんだから当然かもしれない。企画出して、これアニメにする意味あるの的な事言われた話もたまに聞く。しかし、ドラマがやれなかったらアニメ観る人はいなくなると思う。メディアとしてのアニメが役割を終えたのならしかたないかもしれないけど、まだそうは思えない。金をかけられなくてもドラマを放棄しないでつくっていきたい。

2010年1月31日日曜日

わかりやすさって…

難しい言葉でしか伝わらないことがある。いや、難しいことをある程度わかりやすくバラしていくことは出来る。しかし、そのやり方は作る方も見る方も膨大な時間がかかって、結果意味がないものになってしまう、と思う。今は、娯楽も解りやすいものがつくられがちだが、本当にそれは観客の欲望を満たしてるんだろうか。流通から考え直さないと作品の質は変わらない気はする。

2010年1月29日金曜日

予算表

アニメの予算のことよく判ってない人が多い。近い年の人でも判ってない感じの人がいて少々凹む。予算表とかもっと見る機会があった方がいいかもしれない。シビアさが判ってない。

2010年1月26日火曜日

カット頭6コマ(2)

コメントがついてたので軽く続きを。
カット頭から台詞の場合ほぼ9割3コマあれば十分だと思います。
フィルム時代であれば、足りないと困るからという理由もあったかもしれませんがカメラワークなどがついていなければ3コマくらい足すのは編集上でできますし、再撮するにしても昔ほどの手間はないです。むしろ編集で切り忘れて気持ち悪い間が残るほうが怖いかも。
あえて、6コマの間を作るときもあるので演出に直されたところで気にする必要は無いです。(そもそもお話全体を考えて芝居の間を作るのは演出の仕事なので)
6コマ残さないとカット頭の動きとか目に残らないと考える人もいるのかも。自分は目に残らないなら、残るように方法を考えて動かした方がいいと考えます。多分こちらが多数派だと思うのですが。

2010年1月24日日曜日

カット頭の6コマ

カット頭からセリフをしゃべってるような時でも、6コマ止めにする人が結構いるんだけど、あれは何故だろう。基本的にカット頭からすぐに話し始める時なんかは、3コマで十分足りる。たまに同じ人がカットをまたいでしゃべっているような時、前のカット尻で間が取れなければ頭で間をとるということはあるけども、6コマ止まってるとテンポが悪いというのが個人的にも一般的にも大方の意見な気がする。
アニメーターの書いた6コマ止まったシートを編集で切ればいいやと思って放置してたら、しつこく師匠に突っ込まれたという苦い経験があるだけど…。
昔、某有名監督さんのやってた作品でどんな時も頭1コマ必ずシート上で切ってくれという演出注意事項が回っていてしかし、すぐに削除されたみたいで、諸事情によりやめましたみたいなことが書いてあった。そのルールにのっとって作っていたと思われる回を見たら、普通のセリフの出も2コマとかになっていて、それはさすがに忙しなかったということだったんだろうか。
編集の感覚も時代とともに変わってるので、これが絶対とかは言えないけども、カット頭から動き出す芝居なんかでも6コマ止めてくる人がたまにいるのけど、それはまず9割要らない。
やっぱり今でもアニメの編集の基本は頭切りだと思う。
しかし、今のアニメは昔に比べて絵の完成度が格段に上がっている場合が多いので、止めでも結構持つのである。(完成度と線の多少とは関係ないです。)
なので、カット頭の間なんかも昔に比べれば全然成立しやすくなっているとは思う。ベテランの編集さんだと問答無用でカット頭の間を切ってくる人もいるのでそこは残しといてということもたまにある。
うーん、編集は深遠です。

どんな作品が見たいのか

商売として成立するかはともかくネットの感想などをのぞいていると意外と普通の作品が望まれてるというか、極めて王道な観賞をしている人が思ったより多いという気がする。というか、ほとんどの人が極めてまともというか。私なんかはキャラの顔が毎週違っても作監の個性が出てて面白いなどと思っていた世代なのだがやっぱりそういう見方は特殊で、うまくても顔が違うと作画崩壊と感じてしまう最近のお客さんたちのほうが、同一性を持った作品を見る態度として極めてまともといえる。
大きな物語の必要性が低くなったと言われて久しい昨今、しかし物語は欲望され続けているんだなあと強く感じる。
人間の存在が地球上でほぼ揺るぎなくなった現代。人間同士の争いや、天変地異でも起こらなければ人間の存在が危ぶまれることがなくなっても、まだ死の恐怖や色々な混沌の中で人間は生きている。
答えの出ない色々に、しかし、折り合いをつけなければ生きていくのはつらい。根源的な何かから人間が解放されるまでは物語は必要とされ続けるんだろう。
物語る人間がやるべきことはまだまだ沢山ある。と自分を鼓舞する。

2010年1月21日木曜日

時間がかかる案件

よく動く作品のコンテは時間がかかる。あとは登場人物が多いのも。動きが多いのはコンテでも指示の絵が多くなるので当然時間がかかる。人数が多いのはやっかいで、レイアウトにもカット割りにも気を使うので考える時間がながくなる。あと絵を描くのに結構時間がかかる。登場人物が多くて動くとなると…大変です。とはいえ、大変だからって全て避けてまわっていると味けなくなってしまうわけで、多少は無理しても頑張る訳です。コンテの時間はあるだけつかっちゃうなあ…

新しいアイデア

技術を演出に流し込んでいくのは、なかなか大変。撮影技法とか面白いものがあっても、それが物語のなかで生かせるかは別。3Dありきでつくった『アバター』みたいに時間や金をかければ出来る事も増えるだろうけど、なかなかそれを許してくれる現場は少ない。新しい技術が物語とは関係無く与えてくれる刺激はあるのだが、脈絡が無いと物語との違和感ほうが際立って面白さに結び付かない気がする。撮影上がりの演出さんなんかは、そういうアイデアを沢山もってるのかもしれない。何にせよ技術は日進月歩なので、まめに情報を仕入れておきたい。撮影さんと演出がアイデアを交換する時間はもっと積極的につくるべきなんだろう。

2010年1月17日日曜日

演出の初期衝動

自分は何で仕事してるんだろうと、たまに思い返す。若い頃はいつも考えてた。「こんなお話が作りたい」とか何か特別やりたいことがあるのかと言われるとなかった。では、やりたいことがないのかと言われると、あります!と強く言いたくなるようなそんな感じ。
胸の中にある形のないもやもや。それが何だか分からなかったけど、そこにもやもやは確かにあったから、だから、こんな仕事してるんだと思う。
若い頃は本当に霧の中を歩いているような感じで、若くして才能を発揮していく友人などを横目で見ながら、自分みたいに才能のない奴がこんな仕事続けてて意味あるんだろうかとか考えてた。
ただ、自分のなかのもやもやから目を逸らすこともできなかった。
人がやってるんだからおれもあれくらいやれなきゃ駄目なんだ、と自分の力の無さを呪いながら生きてた。まあしかし、才能なんて無くても努力を怠らなければそれなりにいろんなことが身に付くものだなあ、というのは最近思う。ある程度力が身に着くと出来ないことはできないんだし、と開き直れて無いものねだりも少なくなる。
天才がやってることの8,9割は時間をかければ凡人にもできると、自分は思っている。出来ないことは若さとともに失われていくようなものだけ。それでも、スポーツ選手ではないのでそのハンデは少ない。
結局、今も胸の中にもやもやは居座り続けてる。でも、もやもやがあるからこそこんな仕事やろうと思うわけで、無くなったら引退だろう。
いまちょっと、若いころと違うのは、もやもやをもやもやのまま掴み出す術が少し身に付いたということだろうか。

2010年1月12日火曜日

人のやり方を見る

演出の技術はなかなか解りにくいもので人のやってるのを見る機会も少ない。制作などやれば打ち合わせに同行できるが、自分でやると思ってないと意外と細かいことは覚えてなかったり。演出になりたてのころは、ほかの演出さんのチェックしたものをのぞき見てどういう指示を入れているかをのぞき見るようにしていた。それにもまして重要なのは実は打ち合わせの技術で、巧みな話術でひきこまれる監督さんなどと出会うとどうやったらこうなれるのかと考えたものだった。いまだに巧くないけど…
しかし、打ち合わせのうまい人は絵が描けなくても的確に自分の演出意図を伝えられたりする。演出の仕事の半分は打ち合わせなので、ここでうまく自分の意思を伝えられないと、妥協するかもめるかの二択になる。言葉は演出にとって、とても重要だ。打ち合わせ以外にもコンテのト書きやチェック時の指示、またスタッフへの応対など様々に必要となる。スタッフとのコミュニケーションが巧いだけで現場のテンションがずいぶん変わり、スタッフの頑張りも全く変わってくる。とはいえ、そんな技術をどうやって学べばいいのかと聞かれると、ひたすら七転八倒するしかないのかも。いや、難しいですねほんとに。

2010年1月9日土曜日

目ぱちのシート

好みが分かれるところだが、ざっくり目を閉じるときに中割を入れる派と入れない派に分かれる。自分は入れない派ですが、入れる派も結構多い気がする。入れない派は、中無しで閉じ目にして開けるとき中1枚いれる。これは、基本的に目を開けるアクションが目に残る感じ。閉じるときに中割を入れると閉じるモーションが目に残るようになるが、自分はもたついて見える気がするので普通のときは使わない。よほど目を大きく写しているときなどは、動きをスムースにするために入れたりする。あるいは眠くなってまぶたがゆっくり落ちていくとかいう時。目パチひとつでも意外とこだわりがあるものです。

2010年1月7日木曜日

あれ?

急にアクセスが増えててびびりました…大したこと書けないですが何かテーマのリクエストがコメント欄に書いてくれれば考えます。匿名なんで基本的に批評みたいなことはやらないです。愚痴は書きますけど…ホント思い付きを書いてるだけなので。
基本若い人、新人さんとかのヒントになればなあというつもりでやっています。
そこそこベテランの演出家です。思うところありハンドルネームです。

2010年1月6日水曜日

基本は難しい

走ったり歩いたりは何度やっても難しいもので、キャラクターや構図によって変わる。歩幅やスピードだけでも随分印象が違ってみえるものだが、歩き方に特徴があったりすると普通に動画が割れないので原画か参考を沢山いれるはめになる。が、うまくいくととても面白いので、チャレンジする価値はあるのだが。

2010年1月4日月曜日

断片

断片的な映像を積み重ねてつくるような映像はアニメが苦手とするところだ。テレビシリーズなどで、しばらく進んだ後半の話数で素材がたまったところなら可能だが、何も無いところで素材を作りから始めるのは、色んな意味で難しい。しかし、そういうサンプリング的な映像作りはアニメと相性はいい気がする。デジタルならではの手法で簡単な素材作りが出来ないかな、と思う。実写を取り込むとかは少し飽きてしまったけど。