2009年10月27日火曜日

忙しくて

しばらく更新できそうにないです。ここ2週間くらいが今年最大の山場。

2009年10月24日土曜日

謎の職業:演出家

「何の仕事されてるんですか?」「アニメーション創ってます」「ええ、アニメの演出家なんです」「演出家…?」演出家といわれて仕事の内容が何となく頭に浮かぶ一般の人はほぼいない。
どんな業界の演出家でもぱっとその仕事が理解されることはまず無いだろうし、ましてアニメ業界。
自分の仕事歴のなかでも、かなりメジャーな作品を披露して「ああ!」と言ってもらうくらいはできるが、
演出家の仕事を理解してもらうのは至難の業である。
最近は宮崎駿監督のドキュメンタリーなどがテレビで流されたりしているので、宮崎さんのやってるのと同じ仕事ですと言ったりするのだが、それでも何となく理解したふりをしてくれる優しい人が何人かいる程度である。音楽好きな人には、オーケストラの指揮者見たな感じと言うこともある。
そもそも、同じ業界の他の演出家が一体どういう方法で演出をしているかということ自体お互いにそれほど共有しているとは思えないのに、業界外の方に理解させようなど言わずもがなである。映画などが好きな人で知識のある人ならば、役者さんの代わりに絵描きさんを相手にしてるんです、とかいえば何となくわかってもらえることはある。
そもそも、演出家ってホントに謎の職業だ。実際仕事をしてみないとその方法論がとても見えにくい。とにかく沢山の要素が複雑に絡み合って、その配合一つで全く違う作品になるし、レシピが同じでも同じ味が再現できるとは限らない。
他の演出家の技術は機会があれば盗んでやろうと窺っているが分かったところで自分に素養がないこともしばしば。さように、演出家というのは見えにくい。
皆さんどんなふうに自分の仕事を説明してるんでしょうかねえ。

2009年10月15日木曜日

カットの始まりと終わりを考える(9)

いわゆるアクションシーンの場合。
アクションシーンの場合はまず被写体のアクションをいかに見せるかということが基本なので実はカットの始まり終わりの切っ掛けについてはあまり悩まないかもしれない。というかアクションの設計そのものが必然的にカット割りなども規定してしまうことが多いので、むしろ面白いアクションを思いつくかどうかが難しい。編集的な技術だとWアクションの使い方くらいだろうか。同じアクションを技と重ねて見せることで一つのアクションを強調するようなことがある。基本的にアクションシーンはものすごくテンポが速いので、何が起こったかよく判らないままに過ぎ去ってしまうことがある。それはそれでよしとしたものだが、速いアクションをしっかり見せたい場合スローを使ったりというような工夫が必要になる。
しかし、アクションは常にカットのきっかけになるのでどこでカットを終わらせたらいいかとかは判りやすいというわけである。
色々考えてみたが瑣末なことはキリがないし、とっちらかってきたので、この話題はこの辺で。

2009年10月11日日曜日

カットの始まりと終わりを考える(8)

アクションで始まるカット。
と言っても色々で、いわゆるアクションシーンのアクションやら日常芝居の動きなど様々。
アニメの場合カット頭に動きがあった方がそのあと間があっても時間の流れを感じられやすいのだが、
(前カットからの表情変化を丁寧に追ったり)これをきっちり実行すると結構枚数がかかってプロデューサーに渋い顔をされることがある。が、基本は丁寧に時間をつないだ方が綺麗なのでどんなに渋い顔をされようと特に新人のうちは丁寧につなぐことをお勧めする。手の抜き方は後からいくらでも学べるので。丁寧につなぎすぎて、もたついて見えることもあるが、それは失敗して学べばいいと思う。最初から手抜きを考えるよりずっとまし。
例えばカット頭で驚きの芝居があるような場合、直前に同じ人物の表情が写っている時は別だがそうでないなら前に写ったとき普通の顔をしていたとしても、驚き始めた顔からスタートさせるのがよい。時間を盗み方は、なかなか判断が難しいのではじめのうちは編集時に判断できるように丁寧につないでおくのが吉だと思う。
慣れてきたら段々絵を作る段階でコントロールしたほうが作業の効率はよい。

2009年10月7日水曜日

カットの始まりと終わりを考える(7)

構図の続き。
もうしばらく前からよく使われるようになった情報量という言葉。一枚の絵の密度を称して言われる。
密度と言っても、「どれだけ細密に描かれているかという度合」「どれだけ意味のある情報が描かれているか(例えば地図のように)の度合」など詳細は違う。大きくは「細密さ」と「意味」の二種類だと思う。
どちらにしろ、密度のある絵はもつとされている。もつとはカットの時間を長くしても、観客が画面を見続けられる、飽きないというような意味。
しかし、ほんとのところ情報量がありさえすれば画面はもつのか?というか情報量のない画面はもたいのか?いや、そんなことはないと思う。
密度の濃い画面であったとしても文脈のなかで役割が希薄ならもたない。まずは文脈ありきでこその画面の密度だろう。
確かに細かく書かれた絵は読み解くのに時間がかかるが、読み解きたいという動機づけを観客に与えられなければ何の意味もない。
逆に絵として単純なものであっても、文脈的に深い意味が与えられれば長い時間がひつようとされるだろう。

2009年10月4日日曜日

カットの始まりと終わり(6)

構図とカットの長さの関係。
それほど関係なさそうで関係あるという関係。
まずよく問題になるのがPANのカット。(あくまでアニメにおけるPANです)
どこから始まりどこで終るか。PANと言っても様々な構図があるのでいろんなケースがあるのだが、新人の演出さんがよくやる失敗の一つで見せたいものがPANのスタートフレームにいきなりあって、カットが始まると同時にあっというまに通り過ぎてしまうケース。
スタートフレームに見せたいものがある場合、大概はそのもっと手前からカメラワークを始めないといけない。とくに2フレーム以上のPANは頭の中で想像するより速いもので、見せたいものをどうしてもスタートフレームに置きたい場合PAN速度の調整が必要だ。
ごく短い距離のPANならば特にこういう問題は起こらない。アニメでは止めの絵が時間の流れを感じにくいとしてほんの少しPANをつけるのは常套句である。実際には音がついたりすると全く止まっていても時間の流れをきちんと感じられることは多々あるのだが。
PANの構図とカットの長さの関係はほかにも様々なケースがあってあげていくときりがない。
構図といって次に思いついたのは、空フレームの問題。
よくあるパターンではあるのだが、誰もいないところへキャラクターがインしてくるというようなケースの誰もいない構図。
こういう構図はできる限り避けたいと常々思っている。例えば最初地面とか床しか映っていない画面にキャラクターがインしてくるような演出は結構安易に使っている人がたくさんいるが、こういうカットの始まりが避けられない場合、何らかの工夫が必要だと思う。
ひとつはキャラクターがいなくても絵として美的にあるいは意味的に成立している構図を選択する。
(例:床に血の付いたナイフが置いてあってそこに足がインしてくる等)
 もう一つはフレームインを避ける工夫をすること。例えば前のカットでフレームアウトした人物が次でフレームインするような場合は、次のカットはカット頭につながりのアクションさえ残っていれば、インはほとんどの場合不要だと思う。
アニメの映像の編集はカット頭にアクションを置くことでテンポを出すことが多い。頭にある間よりもお尻にある間の方が気にならない。これは生理的に頭にアクションがあるほうが時間の流れを感じやすいからなんだろうと思っている。(視覚心理学とかに研究がないですかねえ)

2009年10月2日金曜日

カットの始まりと終わりを考える(5)

会話シーンのカットのきっかけ。
会話のカットは基本的にはセリフがきっかけになるので、カットの始まり終わりはイメージしやすいと思う。セリフの意味を基調に話し手の表情や聞き手のリアクションをどう拾っていくか、が基本だと思うので、カットの長さ自体は比較的わかりやすく決まってくる。会話シーンの場合むしろ構図が難しいことが多いかもしれない。
会話の場合、芝居的なきっかけがあってカットが変わるというより、実際の会話のように次の話し手が割って入ってくる感じでカットが変わることが多い。タイトルから話はそれるが、3人以上の会話などの場合話してる人の顔を単独のショット(話し手しか映っていない状態)でつないでいっても映像的に会話の意味を強調することはできない。話し手単独のショットは重要なことをしゃべっている人あるいは会話の話題の中心にいる人物以外に使うことは注意深く避けていかないと、とても散漫で何が重要なせりふだったか伝わらない。
カットの長さの話に戻ると、どんなシーンでも基本的にはシーン全体の時間の流れ(ゆったりしてるのか速いのか)がカットの時間の決定にはとても重要なのだが、今度は構図とカットの長さの関係を考えてみる。