2009年12月31日木曜日

アニメーターの稼ぎ方

大抵のアニメーターが食うに困らないくらい稼げるようになるまでの道のりは非常に険しい。元々、予算がスタッフの数や時間に対して安いこともあるが、もうひとつ陥りがちな罠がある。
アニメーターはうまくなっていくと難しいカットを頼まれるようになる。しかし、難しいカットのギャラがそれに見合うだけもらえるかというと微妙なのだ。確かに難しいカットの単価を多少高く設定してくれていることはある。が、それはかかる時間とほぼ相殺される程度であることが多い。むしろ、単価に見合わない時間がかかることが多いくらいだ。そうすると、うまくなっても収入は現状維持か下がっていく。
そうならないためには、プレミアをつけてもらはないと駄目なのだが、これには交渉力がいる。
しかし、アニメーター諸氏は交渉事が苦手な方が多い。そうなると、賃金アップは容易ではない。
お金に困っていないアニメーターはそういうビジネスがうまい人だ。まず、賃金交渉を積極的に試みる。相手が是非にと頼んできた場合なら、交渉もしやすいことが多い。仮に賃金交渉が決裂してしかし仕事がほしい場合、可能な限り難しいカットは避ける。あまつさえ相手が憤慨しない程度に手を抜く人もいる。しかし、あまりにもひどい手抜きでなければ単価が安い時には、仕方ないと思わざるを得ない。それなりに金をもらっている人間がしりぬぐいできる範囲であればそれもありだろうと思う。ただずっと手抜きで仕事が続くとは思えないが。制作とて高い給料を貰っているわけでもなければ、良心がないわけではないが、それでもこちらが悲鳴に近い声を上げなければわかってもらえないことは多々ある。アニメが大きなビジネスとして成立するにはまだ乗り越えなければいけない壁が山のようにあるし、アニメーターが飢えて死ぬくらいならビジネスとしてのアニメなんてやめればいいと思う。現場はまだまだひどいと言わざるを得ない。

2009年12月29日火曜日

年末

スタジオの中はすっかり年の瀬ムードで緩い感じ。この空気の中バリバリと仕事が進むはずもない。正月に完全に休みになるアニメ会社は少ないが、それでもかなり人の姿はまばらになる。若い人は正月も会社にきて鍋をやったりする人もいて、一人で過ごすよりはそれもまた楽しかろうと思う。来年は何の仕事をしているのだろう?と不安になったりならなかったり。今年お世話になった人に挨拶して、また一緒に仕事できるといいですねといいつつ、なかなかその後も一緒に仕事できる人は少ない。一期一会。来年もいい仕事ができるといいなあと、ただ願うばかり。

2009年12月27日日曜日

定番

水着回ってあまりにも定番化してしまった訳ですが、果たして売り上げにどの位貢献しているのでしょうか。いや貢献しているにしても、そろそろ何か新しいネタを考えたい物です。いやきっと色んな人が色々考えて挑戦して、そして挫折してるんだろうなあ。やっぱりエロはつよいです…。

2009年12月26日土曜日

年末だし新年にむけて

今ネットでアニメを見てる人ってどのくらいいるんだろう。最近、テレビを見るのが億劫だ。
時間に縛られるし。ニコ動で流したアニメが商売としてうまくいったのかは判らないが、もっとネット配信が盛んになっていくことは想像に難くない。
映画の世界で増えてきたが、映像技術は3Dを模索している。テレビも高価だが裸眼で立体視できるものが出来ているので画質が限界近くつきつめられた今、立体視は次の商売として有力視されているに違いない。しかし、映像の技術のインフレーションは限界にきている気がする。放送の技術もネットの進化で安価になっていくことは間違いないし、3Dのようにプレミアのついた高価なコンテンツとネットで見れるような手頃なコンテンツの2極化するだろう。
ただそのとき、勢いのある表現はほとんど手頃なところから生まれると思う。
アニメも作り方を根本から見直さないと、現状の業界はつぶれていくだろう。
ただ、アニメがなくなり事はないと思う。新しい作り手がちらほらと芽を出しているから。

2009年12月25日金曜日

不況の波

全体的に仕事は減っているようだが、現場的にはそんなに減った印象はない。今までが多過ぎたのだろうが。仕事が減ると新人のチャンスが減るので今が頑張り時かもしれない。仕事量は波があるので、沢山ある時ある程度頑張らないと仕事が減って来た時痛い目をみる。しばらくは仕事が減っていく一方だと思うので、頑張らないといかんなあ。

2009年12月23日水曜日

心配

まじめだけどヘタな子というのが、一番気になる。何か出来る事はないかと思いつつ結局大したことは出来ないのだが。

2009年12月22日火曜日

感覚

理屈でやって、失敗することがある。感覚の方が良かったことがある。逆に感覚だけでやって失敗することもある。いつも理屈と感覚の間をいったりきたり。

2009年12月21日月曜日

人に伝える

同じ事を何度も繰り返したり、人に技術を伝えるには 理屈・理論にする必要がある。演出の技術も同じで気付かれにくいが技術があって、誰かに教える為には言葉に落とし込まなくてはいけない。しかし、物語というものは理論だけで構成されているわけではなく、むしろ8割方理屈ではない何かで出来ている。物語を理屈っぽく構成することは可能だ。神話の時代からのデータベースがあるのから、現在流通している物語の原形はかならず、求めることができるだろう。しかし、物語というものは、よく分からない何かを分からないままでありつつも飲みこむためのツールなので物語で語られる対象物は理屈では語り得ない。何故世の中に悪人がいるのか、それを言葉に出来た人はいないが、それでも現実を受け入れないことには人間
は生きていけない。そういう訳の解らない現実を飲み込むためのツールが物語なのだと思う。演出は対象物を生きたまま切り出すことと それを観客に飲み込ませることだ。お腹の空いていない人に無理やり料理を食べさせる事が出来ないように、物語も必要ない人にきかせることは出来ないが、おいしい料理をつくる技術があるように、物語をつくる技術があって、演出の技術というのはこのことだ。演出の技術はしかし、扱う素材によってかなり違う。演出の技術を人に教えるのは難しい。

2009年12月15日火曜日

うーむ

なるべく安価でアニメを提供できないかと思う。最近そのことばかり考えている。ネットを使ってうまくできないもんだろうか。

2009年12月13日日曜日

覚えられない

演出は自分で絵を描くわけでは無いので、なかなかキャラクター(絵のディティール)を覚えられない。服の形とか細かい所が間違っててもなかなか指摘できないのだ。作監さんに、これ間違ってますよね、とか言われて、え!(^_^;そうでしたっけ…ということはよくある。かといってキャラ表首っ引きで間違い探しをやるのは時間がいくらあっても足りないので、細かい所は作監にまかせるのが吉だと思う。とはいえ、演出でもチェックするに越したことはないので、間違い易い箇所や目立つディティールは気にするようにしている。

作品と批評の関係性

批評は常に作品と対で現れる。批評だけが独立して存在することはない。ということは、批評の読者が必然的に作品の観客と重なってくるということだ。全く作品の知識なしに批評だけが読まれることはほぼ無い。作品を見ていない場合でも、作品に対して多少興味があって概要を漠然と知っていなければ読まないだろう。対象を広く世の中に紹介するという意味での批評は存在するが、批評の対象に対する興味があってこそ批評は読まれるということだ。
これは、潜在的に批評の読者がいそうもない作品は批評されないということを意味する。
もちろん、作品に批評を必要とする深度が無い場合は沢山あるだろう。しかし、いい作品であっても批評されないということも多々ある。結局、批評も売れなければ商売にならないから。
批評が無いからいい作品が増えないという論理は、だからやっぱりありえない。

2009年12月9日水曜日

さらなるデジタル化

紙を無くしてデータにしてラフな段階でも作業が共有できるようになると便利。コンテ撮から始めてどんどん差し替えていけば、イメージの共有もしやすい。アニメーター的にはラフの段階で覗かれるのは不本意かもしれないが。進行状況の共有にもなる。コンテも描いたデータが即刻サーバーにアップ されれば進行状況は一目瞭然…うーむ、自分の首を絞めそうだが。ただもう少し作業状況を可視化することは必要な気がする。

2009年12月6日日曜日

アニメと批評

批評がないからアニメは駄目だ的なことをいう人がいるが、それはありえないと思う。批評があることでより緊張感のある作品作りにつながることはあるかもしれないが無いからいい作品出来ないのであれば実作者に作品に対する良心が無いということと同義だ。批評はあくまで作品に対する反応で、まずは、作品ありきなのである。というわけで実作者は批評があろうが無かろうがひたすらいい作品を作るために努力するしかないのだが、いい批評があれば作品作りに緊張感は生まれるんだろうと思う。

2009年12月3日木曜日

タイミング

タイミングに失敗してる原画の典型に、ある動きのなかで原画が描いてある(時間軸上の)位置とタイムシートに指定してある位置が一致していないというものがある。そういう原画は絵をパラパラとめくっていると動いて見えてるのに、シート通りに撮影して見ると速すぎる部分があったり遅すぎる部分があったりしてスムースに動いて見えない。シートを直すだけでうまく行く場合もあるが決められた尺のなかに、ある芝居や動きを収めなければいけないとき、原画から直しということも少なくない。基本的に原画とシートの時間軸上の位置は分かち難く一致しているのでそれができていれば失敗することはない。しかし、頭の中で考えているだけでは分からない事も多い。絵のセンスと同じくタイミングのセンスのいい人というのは
いるのだが、QARなど使って試してみることで身体で時間感覚を掴む事は可能だと思う。ただQARで試しても色が着いて動いて見ると思っていたのと違うということはよくあるので、最終的に出来上がった時の画面とシートを確認は怠ってはいけない。タイミングの苦手な人はシートもコピーしておいて絵とともに比較検討したほうがよい。

2009年12月2日水曜日

ノリだけで作る

金はかけずに完成度も低くていいので、手軽に出来るようなアニメの作り方をもっと考えるべきだろう。現代のネットのスピード感に比べると今のアニメの作り方は遅すぎる。リアルタイムで感想などがかえってくるのに、それをフィードバックできてない。作り手のパッションも新鮮なまま作り上げるのは難しい。完成度の高い作品を作るノウハウは既に沢山あるので、次はいかにスピードを身に着けるかだろう。ツールは大分揃ってきている。もっと適当でいいからスピード感のある作品と発表出来る場所が出来るといいと思う。

2009年11月30日月曜日

スピード感

アニメが一番不得意なのが製作のスピード感とアドリブ。フラッシュアニメは割とここら辺が既存のセルアニメより強い気がする。シナリオを練ったりする時間は削りようがないかもしれないが、絵を作る時間は大分スピードアップできるのかもしれない。とはいえ、手描きで貫こうとするとセルアニメと同じ時間がかかるので新しい表現を模索しないといけないとは思う。自主製作などではかなり完成度の高いものがあるので、人材さえ揃えば商業的にもいけそうな気はする。自分でも色々試して見たいと思う。

2009年11月23日月曜日

地味系の生き方

うまくても有名になれる人はごくわずか。有名になるのは良くも悪くも目立つので性に合わない人も多々いるだろうし。
業界にいるとこの人こんなにうまいのになぜ有名じゃないんだろうという人がごろごろいる。
それぞれ色んな理由で地味なポジションにとどまっているのだとは思うが、そういうポジションの人は確実に必要なのである。
アニメと言うのは何せ人手のかかる手法なのだが、1番手を見つけるより2番手3番手あたりの人材を確保するのが格段に難しい。若い人は当然上を目指したいし、ある程度才能があるといいポジションへいけるような現場を探してどんどん出ていくし、それは正しいと思う。
で、かなりの実力をつけたところで大成功できるかと言えば、そいううことはなく、やはり大成功するのは一握りの人でしかない。
しかし、突出した人だけでは作品はできないのが面白いところで無数の縁の下の力持ちの存在が必要だ。地味であっても必要とされる場所はたくさんある。
ただ、現状地味な仕事をしているスタッフたちに相応の対価を払えているかと言うと十分とはとても言えないだろう。実はこういう地味なスタッフを確保し続けることが一番お金がかかるから。
 アニメを産業として維持し続けたいなら、こういう人をいかに支えるかがカギなのかもしれない。

2009年11月13日金曜日

キャラクターと抽象性

アニメのキャラクターは、どこまでいっても人間の役者に比べれば格段に抽象性が高い。かなり、リアルな画風であったとしても、当たり前だが絵であれば人間ほどの具象性は持ち得ない。3DCGなどでは本物の人間と見紛うようなものもできつつあるが手描きでは限界がある。だがCGがお手軽になると手描きが廃れるかというと、そうでもない気はする。なぜかというと、いまCGでつくられているキャラクターを見ると、いかに抽象性を保つかに苦心しているようにみえるからだ。手描きの味をいかに3Dで再現するか研究しているチームや作品もたくさんある。リアルな人間に近付けるのは色んな意味でまだかなり難しいのでマンガ的キャラクターの再現から始めているという側面はあると思うがそれだけではないだろう。ある
程度の抽象性を持ったキャラクターが普遍的に必要とされているんではないだろうか。だとしたらまだ手描きアニメにもやるべき仕事は残っているに違いない。

2009年11月11日水曜日

演出のギャラ

最近のテレビの演出のギャランティの平均はコンテ演出45~40万くらいだろうか。
作品や会社によっては、これより安いのも倍近く出ているものもあるとは思うが、おおむねこのくらいのものが多い印象だ。
ギャラが高い作品はそれだけ大変なことが多いので割がいいというわけではない。
コンテが20万から22,3万。演出料も同じくらいだが、最近は演出料の方が高い会社も少しづつ増えてきている気はする。演出はどんなに時間のない作品でもひと月半くらいかかる場合がほとんどなので20万の仕事をひと月半1本だと税金1割引かれて手取り月に12万くらいの稼ぎな計算。新人のうちは仕方ないにしてもずっとこれではきつい。 それにスケジュールが押すとそれだけ稼ぎが減る。慌てて他の仕事を取ろうと思ってもうまく仕事がない時もある。特に演出はほかの部署の進行に左右されることが多いので自分でスケジュールをコントロールしにくい。コンテの仕事は、自分次第なので演出よりはスケジュール管理がしやすい。なので、安定的に稼げるようになるには、コンテの技術は必須といえる。で、若い子によく言うのは、2ヶ月で3本の仕事をこなせるようになるのを目標にするといいよということ。「コンテ2本に演出一本」か「演出2本にコンテ1本」できるようになるとかなり楽になる。(演出3本は物理的に難しい)
まずこのくらいの仕事をこなすと月に30万位の稼ぎにはなる。あとこのくらいの量の仕事がコンスタントに取れるということは周りの評価もかなり高いと思っていいと思う。
大体このラインを超えるとよほどのことがなければ仕事に困ることはないと思う。
新人の時(フリーランスの場合)はこなすことはもとより、仕事を取ってくることが大変なので、仕事量は周りの評価と比例する。
歳がいくと量をこなすのはきつくなってくるので、いかに付加価値をつけるかということになる。
とにかく、そこそこ食っていけるようになるまではなかなか苦難の道だ。

2009年11月5日木曜日

やりたい仕事

若い時にありがちな悩みごとの一つに、自分のいまやっている仕事が面白く感じられないということがある。本当は昔見たあんな作品やこんな作品みたいなものが創りたいのに、自分の今の仕事は…みたいな。特にアニメーターの場合、動画と言う過酷な下積みがあるため挫折していく人は多い。演出にしたところで制作進行から演出になるのは容易でない。原画マンや演出になったところで、自分のやりたい仕事ができるかと言えば大概の人間が、自分の実力とやりたい事とのギャップに悩むことになる。しかし、ある程度実力がついて他人からも認められて仕事も結構選べるようになったときこそ、若い時考えていた自分のやりたい仕事というものが幻想であることに気づいて愕然とする。子供のころ見たあんな作品やこんな作品、ああいうものを作りたいと思っていた、しかしいざ創ってもいいよと言われたときその無意味さに気づく。過去に見た作品はもうすでに世の中に存在しているから。同じようなものをつくるのはただの模倣でしかない。模倣に意味がないわけではない。世の中の創作物で何かの模倣をしていないものは存在しない。もし存在していたとしてもそれは言葉としての意味を持たないはずだ。過去の時間の積み重ねに自分が接ぎ木をしていく。それが創造というものだと思う。答えはない。悩んで悩んで同時に手を動かすしか前に進む道はない。

2009年11月4日水曜日

作品と適性(2)

人それぞれ得手不得手があるというもののある程度の芸の幅がないと仕事としては厳しい。
その時々の流行りもあるし、全体に流通する作品の傾向は偏りがちだ。自分の得意な分野が主流と外れている場合、自分に合った仕事を探すのはなかなか難しい。
しかし、TVシリーズなどであれば全体の傾向が自分の得意と少しずれていてもその中の何本かのお話は自分の得意分野にはまってるということはありうる。
その時完全にその作品に合わせ切ることは難しくてもある程度寄せる技術があれば役割は果たせる。作品の監督であっても必ず不得意分野はあるもので、そこを補完することが大勢で作品をつくる意味の一つであるとも言える。
ある程度の幅といってもごく基礎的なことさえクリアしていれば対応できる作品は少なくないと思う。

2009年11月3日火曜日

作品と適性

自分の演出がどんな作品に向いているか自分だけで判断するのは大変難しい。
自分の好きな作品と自分に(制作する上で)向いている作品が違うことはままある。
が、自分で向き不向きが分かっていれば問題ない。すごく好きな傾向の作品なんだけど自分にスキルがない時はある程度ならば努力で達成できるようになると思う。しかしある程度以上はどうしても踏み込めない上手な人には敵わない感性やそれまでの経験の積み重ねの領域があって、そこを克服するのはなかなか難しい。
また、自分に向いていると自分で思っていても、他人から見るとそうでもない時と言うのが一番自分でも気づきにくいし軌道修正が難しいかもしれない。自分でやりたいものと違う傾向の作品ばかり振られるあなたは、自分の好きな傾向の作品を制作するのに向いていない可能性が高い。新人の演出の場合つてがないので仕事が来ないということもあるが、ある程度のキャリアがあるならば間違いなく向いてない可能性が高い。だからといって自分の好きなジャンルをあきらめることはない。自分の得意技を足掛かりにして苦手を克服していけばよい。何より己を知ることが重要だ。
自分の知ってる自分と他人の知ってる自分は違っていたりする。両方ひっくるめて自分なので他人の中の自分像を知ることも重要だと思う。
現時点の自分の演出の限界を知ることが演出の幅を広げるスタート地点だ。

2009年10月27日火曜日

忙しくて

しばらく更新できそうにないです。ここ2週間くらいが今年最大の山場。

2009年10月24日土曜日

謎の職業:演出家

「何の仕事されてるんですか?」「アニメーション創ってます」「ええ、アニメの演出家なんです」「演出家…?」演出家といわれて仕事の内容が何となく頭に浮かぶ一般の人はほぼいない。
どんな業界の演出家でもぱっとその仕事が理解されることはまず無いだろうし、ましてアニメ業界。
自分の仕事歴のなかでも、かなりメジャーな作品を披露して「ああ!」と言ってもらうくらいはできるが、
演出家の仕事を理解してもらうのは至難の業である。
最近は宮崎駿監督のドキュメンタリーなどがテレビで流されたりしているので、宮崎さんのやってるのと同じ仕事ですと言ったりするのだが、それでも何となく理解したふりをしてくれる優しい人が何人かいる程度である。音楽好きな人には、オーケストラの指揮者見たな感じと言うこともある。
そもそも、同じ業界の他の演出家が一体どういう方法で演出をしているかということ自体お互いにそれほど共有しているとは思えないのに、業界外の方に理解させようなど言わずもがなである。映画などが好きな人で知識のある人ならば、役者さんの代わりに絵描きさんを相手にしてるんです、とかいえば何となくわかってもらえることはある。
そもそも、演出家ってホントに謎の職業だ。実際仕事をしてみないとその方法論がとても見えにくい。とにかく沢山の要素が複雑に絡み合って、その配合一つで全く違う作品になるし、レシピが同じでも同じ味が再現できるとは限らない。
他の演出家の技術は機会があれば盗んでやろうと窺っているが分かったところで自分に素養がないこともしばしば。さように、演出家というのは見えにくい。
皆さんどんなふうに自分の仕事を説明してるんでしょうかねえ。

2009年10月15日木曜日

カットの始まりと終わりを考える(9)

いわゆるアクションシーンの場合。
アクションシーンの場合はまず被写体のアクションをいかに見せるかということが基本なので実はカットの始まり終わりの切っ掛けについてはあまり悩まないかもしれない。というかアクションの設計そのものが必然的にカット割りなども規定してしまうことが多いので、むしろ面白いアクションを思いつくかどうかが難しい。編集的な技術だとWアクションの使い方くらいだろうか。同じアクションを技と重ねて見せることで一つのアクションを強調するようなことがある。基本的にアクションシーンはものすごくテンポが速いので、何が起こったかよく判らないままに過ぎ去ってしまうことがある。それはそれでよしとしたものだが、速いアクションをしっかり見せたい場合スローを使ったりというような工夫が必要になる。
しかし、アクションは常にカットのきっかけになるのでどこでカットを終わらせたらいいかとかは判りやすいというわけである。
色々考えてみたが瑣末なことはキリがないし、とっちらかってきたので、この話題はこの辺で。

2009年10月11日日曜日

カットの始まりと終わりを考える(8)

アクションで始まるカット。
と言っても色々で、いわゆるアクションシーンのアクションやら日常芝居の動きなど様々。
アニメの場合カット頭に動きがあった方がそのあと間があっても時間の流れを感じられやすいのだが、
(前カットからの表情変化を丁寧に追ったり)これをきっちり実行すると結構枚数がかかってプロデューサーに渋い顔をされることがある。が、基本は丁寧に時間をつないだ方が綺麗なのでどんなに渋い顔をされようと特に新人のうちは丁寧につなぐことをお勧めする。手の抜き方は後からいくらでも学べるので。丁寧につなぎすぎて、もたついて見えることもあるが、それは失敗して学べばいいと思う。最初から手抜きを考えるよりずっとまし。
例えばカット頭で驚きの芝居があるような場合、直前に同じ人物の表情が写っている時は別だがそうでないなら前に写ったとき普通の顔をしていたとしても、驚き始めた顔からスタートさせるのがよい。時間を盗み方は、なかなか判断が難しいのではじめのうちは編集時に判断できるように丁寧につないでおくのが吉だと思う。
慣れてきたら段々絵を作る段階でコントロールしたほうが作業の効率はよい。

2009年10月7日水曜日

カットの始まりと終わりを考える(7)

構図の続き。
もうしばらく前からよく使われるようになった情報量という言葉。一枚の絵の密度を称して言われる。
密度と言っても、「どれだけ細密に描かれているかという度合」「どれだけ意味のある情報が描かれているか(例えば地図のように)の度合」など詳細は違う。大きくは「細密さ」と「意味」の二種類だと思う。
どちらにしろ、密度のある絵はもつとされている。もつとはカットの時間を長くしても、観客が画面を見続けられる、飽きないというような意味。
しかし、ほんとのところ情報量がありさえすれば画面はもつのか?というか情報量のない画面はもたいのか?いや、そんなことはないと思う。
密度の濃い画面であったとしても文脈のなかで役割が希薄ならもたない。まずは文脈ありきでこその画面の密度だろう。
確かに細かく書かれた絵は読み解くのに時間がかかるが、読み解きたいという動機づけを観客に与えられなければ何の意味もない。
逆に絵として単純なものであっても、文脈的に深い意味が与えられれば長い時間がひつようとされるだろう。

2009年10月4日日曜日

カットの始まりと終わり(6)

構図とカットの長さの関係。
それほど関係なさそうで関係あるという関係。
まずよく問題になるのがPANのカット。(あくまでアニメにおけるPANです)
どこから始まりどこで終るか。PANと言っても様々な構図があるのでいろんなケースがあるのだが、新人の演出さんがよくやる失敗の一つで見せたいものがPANのスタートフレームにいきなりあって、カットが始まると同時にあっというまに通り過ぎてしまうケース。
スタートフレームに見せたいものがある場合、大概はそのもっと手前からカメラワークを始めないといけない。とくに2フレーム以上のPANは頭の中で想像するより速いもので、見せたいものをどうしてもスタートフレームに置きたい場合PAN速度の調整が必要だ。
ごく短い距離のPANならば特にこういう問題は起こらない。アニメでは止めの絵が時間の流れを感じにくいとしてほんの少しPANをつけるのは常套句である。実際には音がついたりすると全く止まっていても時間の流れをきちんと感じられることは多々あるのだが。
PANの構図とカットの長さの関係はほかにも様々なケースがあってあげていくときりがない。
構図といって次に思いついたのは、空フレームの問題。
よくあるパターンではあるのだが、誰もいないところへキャラクターがインしてくるというようなケースの誰もいない構図。
こういう構図はできる限り避けたいと常々思っている。例えば最初地面とか床しか映っていない画面にキャラクターがインしてくるような演出は結構安易に使っている人がたくさんいるが、こういうカットの始まりが避けられない場合、何らかの工夫が必要だと思う。
ひとつはキャラクターがいなくても絵として美的にあるいは意味的に成立している構図を選択する。
(例:床に血の付いたナイフが置いてあってそこに足がインしてくる等)
 もう一つはフレームインを避ける工夫をすること。例えば前のカットでフレームアウトした人物が次でフレームインするような場合は、次のカットはカット頭につながりのアクションさえ残っていれば、インはほとんどの場合不要だと思う。
アニメの映像の編集はカット頭にアクションを置くことでテンポを出すことが多い。頭にある間よりもお尻にある間の方が気にならない。これは生理的に頭にアクションがあるほうが時間の流れを感じやすいからなんだろうと思っている。(視覚心理学とかに研究がないですかねえ)

2009年10月2日金曜日

カットの始まりと終わりを考える(5)

会話シーンのカットのきっかけ。
会話のカットは基本的にはセリフがきっかけになるので、カットの始まり終わりはイメージしやすいと思う。セリフの意味を基調に話し手の表情や聞き手のリアクションをどう拾っていくか、が基本だと思うので、カットの長さ自体は比較的わかりやすく決まってくる。会話シーンの場合むしろ構図が難しいことが多いかもしれない。
会話の場合、芝居的なきっかけがあってカットが変わるというより、実際の会話のように次の話し手が割って入ってくる感じでカットが変わることが多い。タイトルから話はそれるが、3人以上の会話などの場合話してる人の顔を単独のショット(話し手しか映っていない状態)でつないでいっても映像的に会話の意味を強調することはできない。話し手単独のショットは重要なことをしゃべっている人あるいは会話の話題の中心にいる人物以外に使うことは注意深く避けていかないと、とても散漫で何が重要なせりふだったか伝わらない。
カットの長さの話に戻ると、どんなシーンでも基本的にはシーン全体の時間の流れ(ゆったりしてるのか速いのか)がカットの時間の決定にはとても重要なのだが、今度は構図とカットの長さの関係を考えてみる。

2009年9月27日日曜日

カットの始まりと終わりについて考える(4)

何を表現するかは置いておいて、カットの始まりはファーストカット以外は基本的には前のカットと時間がつながっている。ので、カットの始まりと終わりは常にセットで考えていく。
どうやってカットが終わるかが、どうやってカットが始まるかを規定することもあるし、その逆もまたしかりである。
どんなカットもなるべくきれいにつなぐに越したことはない。
で、きれいなつなぎとは一体何だろうといつも考える。まあ、根本的な答えはないので毎度毎度頭をひねるしかないのだが、新人さんのコンテなど見ていると往々にしてありがちなのがカットの終わる理由を考えてないということである。終わりを考えていないので、当然始まりが唐突になってしまう。
一番単純にこれを解消する方法としては、カットが終わる切っ掛けをつくること。
例えば、画面の中にだれか立っていてその人が呼ばれて振り向くという芝居があったとする。このとき、振り向く芝居はカットの終わりの切っ掛けにできる。
きっかけがないとカットが終われないというわけではないが、あると非常にスムースに次のカットに行けることは多い。他の例で言うと、
「夜、どこか古びた洋館の一室、テーブルの上に一冊の古びた本が置いてある。すると、本に明るい光がさして、消えると部屋のなかに一人の男が立っていた。」
というようなシナリオの文章があった場合、本を寄りで写したカットの後、光が消えるのをきっかけにポンと部屋の全景が映って男が立っているというようなカット割りが成立する。
また、文章だけでは説明が難しい話になってしまうが、きっかけをつくることでレイアウトを自由にすることができる。
例えば、新人のコンテマンが陥りがちなのが、何でもかんでもなめこんでしまうこと。
ある人物が呼ばれて振り向いて、次にその呼んだ相手を写したい場合に振りむいた人物を必ず手前になめこんでしまうとか。振り向くというようなハッキリとしたきっかけの芝居がある場合、なめこまなくても、振り向いた人物の主観として呼んだ人物単体のカットにできることは多い。ただ、自分の描いたコンテの絵だけを見ていると二人の人物が同一の場所にいることが伝わるかどうかが不安で、なんでもなめこんでしまうのだ。だが、この調子だと3人以上のキャラクターが芝居に絡んでくるようなシーンになると、とたんに面倒になることは間違いない。うまくカットをつなぐことによって構図の幅もぐっと広がってくる。

2009年9月26日土曜日

カットの始まりと終わりについて考える(3)

凝ったカットつなぎに行く前にもうひとつ。カットの時間について。
一つのカットは始まりから終わりまでの時間を持っているが、ひとつのカットの時間はそのカット単体の持つ意味とそのカットが挿入されているシーンの時間(テンポと言った方がいいか)によって決まる。ゆったりとシーンなら、カットの時間もゆったり流れるし、テンポの速いシーンならカットの時間もテンポ良くという具合。なので同じ会話でもシーンのテンポを調節することによって随分印象が変わるので、カットの長さもそれに付随して変わっていく。
カットつなぎに話を戻す。
カットとカットは鎖のようにつながっていくものなので、ビーズの鎖がどんなビーズをつなぐかによって全く見た目が違うように、どんなカットをつなぐかで全く印象が変わる。
Aさんが感じた五分間と同じ場所にいたBさんが感じた五分間というのはまったく同じになる事がないような感じ。
実際の映像ではAさんが捉えた時間を十秒、Bさんがとらえた時間を十秒という具合にいろいろな視点の映像を混ぜながら使っていったりする。
その時、うまくつないであげないと、つながった一連の時間に感じることができないことがある。
逆にいうと、うまいつなぎはカット割を認識させなかったりする。
カットつなぎに凝るとは、いかに自然にカットをつなげるかだともいえると思う。

2009年9月25日金曜日

カットの始まりと終わりについて考える(2)

カットの始まりが前のカットと時間的につながっている場合、画の中に前カットに映っていた人や物と同じものが映っていれば位置や表情など基本的に合わせる。(映像の中の人やモノの位置はイマジナリーラインと関係が深く3次元空間の中での位置があっていれば同じ位置に見えるわけではないのだが、また違う話なので割愛する)
しかし、映像では時間はつながっていても同じ絵が映っているわけではない場合も多い。例えば向かい合って話している人物の片方づつを写すような場合(AさんとBさんが1カットづつで映っている)も同じ会話をしていれば時間はつながっていると感じることはできる。そのような場合、カットがどう始まるかと言えば基本的には前のカットを受けて始まる。
前のカットを受けるといっても色々あるじゃん…なわけだが例えば会話などはわかりやすく同じ会話が続けばよいのである。前のセリフに対してすぐに応えるか、あるいは一拍置いて応えるかによってセリフの始まる位置は決まってくる。
次はもっと凝ったカットのつなぎについて考えてみる。

2009年9月22日火曜日

カットの始まりと終わりについて考える(1)

最初はカットのはじまり方。物語の最初のカットは当然、先行する画がないので基本的にはどんな画でも構わない。しかし、ここを起点に、後ろにつながっていくカットは制約されていくので簡単ではない。後ろに重要なカットを配置するなら、それが生きるような画の流れを逆算しなければいけないだろう。ただ全体の中のカットの意味合いを考え始めると話が難しくなるのでもっと単純に考えてみたい。
多分、カットのはじまり方はものすごく大きく考えて2種類。前の画とつながったカットと、つながってないカットの2つではないかと思う。
なにをもってカットがつながっているとするのか、つながっていないとするのかが実は難しいのだが、ざっくりと分けるとこいうくくりがわかりやすいのではないかと思う。
なので、カットの始まり方は前のカットとつながっているのかいないのかというところから考え始めるのが普通なのではないかと思う。
つながってるつながってないというのは基本的には『時間』のことである。
物語のファーストカットは前に何もカットがないので制約がない。しかし、2カット目からは前のカットとのつながりを考えていく必要が生じる。

2009年9月20日日曜日

カットの始まりと終わりについて考える(0)

どうやって、カットが始まってどうやってカットは終わるか。しばらく、このことについて、考えてみる。
カット以前にどうやって物語が始まるかということもあるのだが、難しくなるので、もっと技術的な意味でカットの始まり終わりを考えてみる。

2009年9月15日火曜日

データ直し

素材がデジタルデータになってから、ちょっとした直しは自分でやってしまう。線が一本たりないとか、薄いとかは、動画を直すよりデータを直に直すほうが速い。セルの時も線を足すくらいならマジックでキュッと描けばできた。しかしデジタルデータだと目の位置を少しずらすとか、より細かい直しが出来る。やり始めるとキリがなくなりそうになるのやめ時が肝心なのだが。セルを使っていた時は、演出が撮出しといって全部の素材を最終確認していたのでその時、タイムシートの間違いや線が足りないとか、細かいチェックをしていた。最近は色指定さんが仕上げ検査のときに撮出しに近いことをやってくれている。ひどい動画を直すとか、決して仕上げ検査の仕事ではないのだが。動仕でとばして動画検査がチェック出来ないこともよくあることなので。撮影でも随分色んな事が出来るようになったので、撮影で何とかしてもらうことも多い。ただ、フォトショップなどは、ちょっとした直しでつかうには高いし、いらない機能もあるので、安くて速いソフトは何か無いかなと思っている。

2009年9月4日金曜日

止め

情景描写のようなカット(例えば商店街の全景とか)で止めをつくるとき、歩いたり走ったりしているポーズを使った止めをつくる人がいる。イメージカットだと割り切って使っているのだろうが、歩き走りのポーズを使わなくても十分動きのある絵は作れると思う。基本的に動いてる映像なので漫画のような絵の使い方は意味がないのじゃないだろうか。

2009年9月1日火曜日

ラティテュード

最近の流行りで室内にいる人を室内から窓バックに撮るような絵の時、室内の人物など少し暗く落とすのが当たり前になってきている。これは、写真のフィルムの濃淡の表現の許容量(ラティテュード)を再現したものと思う。人間の目はフィルムよりずっと幅のある濃淡を感じることが出来るので、前述のような画面でも映画や写真のような室内の暗さを実感として感じることは少ないと思う。なので、考えなしに暗く落とすのはどうかと思う。もっと色んな表現がありそうだ。

2009年8月28日金曜日

3D

最近はめんどくさい形のモンスターやロボットも3Dで表現できるのであつかいが、だいぶ楽になった。3Dのアニメーターもずいぶん進歩したので手書きに近い感覚の絵作りもできるようになってきた。もちろん、手描きでないとやれないことはまだまだあるのだが、車なんかは3Dにしたほうがきれいに動く。特に地味な動きは。そのせいか車など全然描いたことがない人もいて、それはそれで困ったりもする。3Dの使えない現場などたまに苦労する。しかし、どいうふうに、3Dを使うかはまだまだアイデアが足りないと思う。もっと思いもよらない使い方ができないだろうか。

2009年8月27日木曜日

匂いのする映像

匂いのする映像は技術が進歩したらみんな作るようになるだろうか?何よりの課題は瞬間的ににおいを出したり消したりできるかということだと思う。ここぞというときにパッと匂いが出せて、他の匂いにもぱっと切り替えられて、ぱっと消せたら映画の中に取り入れられるだろう。映画は時間芸術なのでそこが肝な気がする。

社内動画

最近の動画は海外にまくことが多い。時間があれば国内でやりきることも可能だが、日本ならいいものが上がるとは限らないのが最近のさびしいところ。そこで、このカットは手堅く仕上げたいという時は制作に、「社内動画でお願い」と託す。自社の作品なので当然頑張ってくれる。内容は大変な場合が多いので、祈るような気持ちでお願いするのだが、きれいな動画が上がってきた時はホッとすると共に感謝の気持ちでいっぱいになる。動画がきれいだと驚くほど見栄えは違う。過酷な仕事なのでやめる人は山ほどいるが、なるべくたくさんの人が育ってほしい。

2009年8月26日水曜日

遠くにいる人の声が聞こえる

少し遠くにいる人の声が聞こえるということは、映画やドラマなどでは割とよくあることだ。現実では車の通りの激しい道で3メートルも離れれば普通の声でしゃべっても、聞こえない。が、ドラマの中では聞かせることができる。アニメでもカメラが寄ったり引いたりしているのに、音の距離感はあまり変えない、ということはよくある。それでも、違和感を感じないのはなぜだろう。逆に一連の会話なのに、絵に合わせて距離感を変えたら聞き取りにくくなって失敗したという思い出はある。画と音の距離感はどういう風に脳の中で処理されてるんだろう。

2009年8月20日木曜日

才能

才能だけあってもうまくいかない。努力とか健康な体とか運とか色々必要。

2009年8月19日水曜日

ポーズつなぎ

確かに最近のアニメでは同じシーンの中でポンポンとポーズをつながないで進んでいく作品もあるが、基本的には時間がつながっていればポーズもつなぐ。巷にある作品をただ漠然ととらえてポーズなんて厳密につながってなくてもいいと思ってる若い演出やアニメーターがちらほらいる。ポーズがつながってなければテンポが出ると勘違いしているみたいだ。時間を盗むには相応の理由がいる。ポーズがつながってなくても気にならないという人は、逆に時間を盗む意味をもっと考えるべきだと思う。

2009年8月18日火曜日

ねむけ

眠気が吹っ飛ぶドリンク剤で何が一番効くんだろう。いやちゃんと寝ないと駄目ですが…。眠らなくて済む体だったらどんなにいいだろうと思うこともままあります。惰眠を貪りたい。

2009年8月15日土曜日

せりふの関係性

一つ一つの台詞の関係性で台詞の意味はずいぶん違ってくる。間を調節したりして意味づけをしていくのだが、こういう技術を教わってない人は多いのだろうか…

2009年8月5日水曜日

地味な作品の撮影

地味な作品をやる時撮影的な見せ場をどうつくるか考える。日常芝居がメインでしかも昼間のシーンが多いような作品は、いかんせん手を加えすぎないほうが良いことが多いのだが、それでも何かあるのではとおもう。めんどくさいカメラワークとか、デジタルならではのシーンが。でも気付かれないかもしれないけど。いやあからさまに気なっても困りもんですが。

2009年8月2日日曜日

大人になりたい女の子、大人になれない男の子

魔法少女ものはあっても、魔法少年ものがないのはなぜだろう。ハリーポッターは魔法少年だが、日本のアニメの中で魔法少年を扱ったものがぱっと思い出せない。
しかし、日本のアニメの魔法少女ものはハリーポッターとはずいぶん違う。魔法少女の基本コンセプトは『大人になる』だ。少し時間を飛び越えて未来の自分の体を先取りすることが魔法である、ということが多いと思う。
では、そういう魔法少年ものは存在しないのか?と考えてみるのだが、自分が知らないだけかもしれないが、一向に思い出せない。
なぜだろう。男の子は大人になりたくないものなんだろうか?変身したくない?いや変身ならば、アニメでなければ仮面ライダーやアニメの場合ロボットものが変身ものとイコールと言えると思う。
しかし、少年向けの娯楽で変身イコール大人になるというコンセプトを持った物は皆無な気がする。
少女と「大人になる」というコンセプトは親和性が高いのはわかる気がする。
現実でも女の子の方が先に大人になってしまうし、「大人になる」ということを想像する必要性は女の子の方が早く来るんだろうという気がする。
だからと言って、男の子にそういう日が来ないかと言えばそんなことはないわけで、「大人になる」がコンセプトの魔法少年がいてもいいようなもんなのだが…。

2009年7月31日金曜日

重さの表現、軽さの表現(金田伊功さんの仕事を考える)

アニメで重さを表現する時にどうするか。その方法の一つに1秒間に使う絵を増やすという方法がある。
そもそも、映画ならば一秒間に24枚(コマ)テレビなら一秒間に約30枚(フレーム)の絵を使っているのだが、アニメの場合テレビなら一秒間に約8枚の絵を使う。例えば人間が歩いているとか、立ったり座ったりなど日常的な動きは、ほぼこの枚数。走っている時は一秒間に12枚使うのが普通。これは2コマ打ちと言って1枚の絵を2コマづつ撮って一秒間の映像を構成しているということだ。一秒間に8枚の絵しか使っていない時は3コマ打ちという。なぜ、走りと歩きで一秒間につかう枚数が違うのかという話を始めるとものすごく長くなってしまうのでそれはさておいて、3コマ打ちより2コマ打ちが2コマ打ちより1コマ打ちが、という具合に一秒間に使う絵の枚数が多いほど重さを感じさせやすい。なぜかというと、たくさんの絵が眼に残るほうがはっきりと脳が動きを認識できるからだ。(もちろん、重さを感じさせる要素は絵の枚数だけではないのだが)逆に言うと軽さを表現するためには絵の枚数を抜いてやる必要がある。超高速度撮影(スローモーション)の映像を見るとよく判る。例えばシャボン玉が割れる映像などをみると実際のシャボン玉よりもねっとりとした重さを感じることができると思う。あれを実際の時間と同じ時間で再生してみても(例えば一秒に千枚の画を撮ったなら一秒間に千枚の画を再生する)やはり実際に目で見る時よりも重さを感じるだろう。なぜかというと一枚一枚の絵がストップモーションで撮られているからだ。肉眼では早すぎる動きは流れてみえる。電車の中から近くにある壁や敷石、柱など見るときなどの感じだ。しかし、高速度撮影した映像の一コマづつを見てみるとはっきりと写って流れていない。つまり、実際人間には見えない動きをとらえているのだ。アニメーションの絵はこの高速度撮影された絵と似ている。一枚一枚の絵がストップモーションで、流れた絵は基本的にはない。もちろん疑似的に表現することはできるが、基本的に肉眼で見たものとは違う。アニメの動きの気持ちよさというのは、このストップモーションによるところが大きい。肉眼では見えないものが見えるからだ。だが、逆に見えすぎてしまって気持ちが悪いということが起こる。例えば前述した走りは、一歩に4枚の絵を使うのが普通なのだが、その中に両足が地面がら離れた絵は無い。もちろん実際には両足が地面から離れた瞬間はあるのだが、アニメでその絵を入れると非常にやぼったく見えるのだ。走りの軽快さがうまく表現できない、そう感じて多くの場合両足が地面から離れた絵は使わない。これはアニメの絵がストップモーションであることと大きく関係していると思う。軽さを表現するために見せない絵をつくる、というのが欧米のアニメーションと日本のアニメが一線を画したところだ。ディズニーが創っていた手描きアニメは基本的にフルアニメーションだ。基本的に一コマ一コマすべて動かすべしという発想で作られているので、軽快な動きも日本のものとは違う独特のヌルっとした重さというか湿り気がある。現在の日本のアニメはフル(1コマ打ち)で動いているところでも、軽さを表現する技術というものを通ってきているので、ディズニーとは発想が全く違うといっていいと思う。どちらが良いということではなく、ただ違うのだ。亡くなった金田伊功さんは軽さを表現することが突出してうまいアニメーターだった。軽さを表現するということでは、とても大きな影響を残した人だと思う。今のアニメの礎を気づいた一人であることは間違いない。 

2009年7月27日月曜日

未熟なとき

自分の力不足を受け入れるのはつらい。若い時は特に他人のせいにしてしまいがち。自分が悪いのか人のせいなのか、冷静に判断がつくようになったら一人前なのかもしれない。

2009年7月26日日曜日

金田伊功さん・続報

お別れ会に一般の方も参加できるようです。かなり限られた人数になると思われますが。業界枠にしてもかなり難しそうです。

2009年7月25日土曜日

ビデオの値段

むかしのアニメのビデオはどれも1万円位したので少しクオリティの高いアニメが軒並みビデオでしか出なくなった時期は全くアニメを観なくなってしまった。最近はレンタルも増えたし、多少安くもなったのだがそれでもいいお値段。なるべく安く提供したいものだがなかなか難しい。いまはせめて、なるべくクオリティを上げることくらいしかできないなあ。

徹夜する時

夏は風呂に入れないのが悩みです。銭湯も随分減りましたし。早く仕事を終わらせてかえりたいものです。

2009年7月24日金曜日

〆切の季節

夏コミに向けてみなさん準備の大詰めのようです。毎回がんばるなあといつも感心してしまいます。もちろん仕事をこなしたうえでやっているわけで、みんな徹夜で編集などしているようです。

2009年7月23日木曜日

すげーかわいいです

ペッツ!最近食べてないなあ。

金田伊功さん

金田伊功さんが亡くなったそうです。かっこいいアニメーターだったなあ。一緒に仕事をする機会があった訳ではないですが、純粋にファンでした。ぽっかり胸に穴が開いた気分です。
お別れ会が8月30日に行われるようです。ご冥福をお祈りします。

2009年7月16日木曜日

思い込み?

近くにあるものを写すとき広角にしてしまう人をときどき見かけるが、あれは普段カメラで写真を撮ったりするときのマクロレンズなどの感じにしてしまっているんだろうと思う。確かに狭い部屋などで実際カメラを構えると広角じゃないとうまくフレームに入らないことはあるものだが、こと映画などに関して言えばその限りではない。映画の構図の基本は人間の見た目だと思うのだが、極端な広角レンズはそれを損なう。実際の映画ではセットを組んで狭い部屋の設定でも壁を取り外したりしてカメラの位置の自由度を確保したりするわけだが、アニメでも同じことが言える。六畳一間であっても壁を無いことにしたりすれば極端な広角を使わなくていいこともある。壁のそばに立っている人を壁側から写すような場合はまた別の問題だ。あとは、有名な人が広角を使っているのを見て真似したい人もいるようだが、うまく使わないと不自然なだけだと思う。

2009年7月13日月曜日

予算は通ってしまったようですが…

『国立メディア芸術総合センター(仮称)』うまくいってくれるでしょうか…箱ばかり立派で中身がないなんてことにならないといいんですが。
今日中ですがアイデアを募集しているそうです。一週間て、募集期間短すぎる…。
準備委員会の方に期待します。

2009年7月12日日曜日

マンガとイマジナリーライン

映像にイマジナリーラインという言葉がありますが、これは写っている人物の位置関係や方向性について観客が混乱を起こさないために考え出されたものです。映像は一つの固定された画面の中で違う絵が次々と現れるために、画面の右側にいた人が次のカットで左側に移っていると同一人物だと認識できなかったり認識するのに時間がかかったりします。対して漫画では吹き出しの順番(セリフの順番)を軸に人物が配置されます。コマとコマは同一ページ内で比較可能なために映像のような人物の画面内の位置の混乱は起こりません。なので原作と同じ構図が使えないことは多々あります。大抵は人物の向きを修正することで回避できます。

2009年7月11日土曜日

終わらせる力

終わらせる力は非常に重要だ。どこで筆を置くか、筆を置かない限りは作品は完成しない。すごく粘っていいコンテをあげても、そのあとの時間が極端に短いとコンテの意図を達成することはできない。かといって、あまりにあっさり見切りをつけても面白くならない。そのギリギリのラインを見極めるのは難しい。このことに関しては性差がとてもはっきり表れると思う。男で多いのはいつまでもねちねち粘り過ぎて失敗するタイプ。女性は比較的バランスがとれているのだが突出した何かが出てきにくい人が多い。もちろん男女どちらとも真逆なタイプはいるが、若い人は概ねこうだ。女の子の方が食っていけるようになるのは早い子が多いのだが、その後伸び悩む人が多いやに思う。男は貧乏する時期が長いと思うが、切っ掛けをつかむとすごいものを作ったりする。両者の中間がベストなわけだがそんな人はなかなかいない。のでみんな努力して自分の不得意を埋めるべくにじり寄っていく。

適切な人材配置

アニメに限らずのことだと思うが、適切な人材配置は作品を大きく左右する。最近のプロデューサーや監督の仕事の8割方はここにあるかもしれない。例えばまださほど実力のない若い人などの特徴をつかんでうまく配置してあげると予想以上の力を発揮することがある。ベテランスタッフでも当然得意不得意はあるわけで、そこをうまく嵌めてあげないと失敗することがある。またスタッフがハマると相乗効果でお互いに刺激し合って、自然とテンションも上がっていく。特に最近の力のある監督は皆多かれ少なかれプロデューサー的な素養を持っている気がする。

2009年7月9日木曜日

若い才能

才能を持った若い人は沢山いるのだが才能が伸びていくのはほんとに難しいものだなあと思う。アニメ業界は給料安いもさることながら、人づきあいの苦手な人、体力のない人などが沢山いる。体力などは鍛えてもどうしようもない部分もあるので特に難しい(持病を持ってる人など大変)。そういう人たちが貧乏すると本当に命の危機になりかねないので、どうやったら食っていけるのだろうと真剣に考える。絵を描く才能や演出の才能があるのに体力がないと続かない。一つ思うことは若いうちは身の丈に合った仕事を選ぶというのは自衛の策としてあると思う。ものすごくクオリティーの高い作品にあこがれて入ってきても、誰もが簡単につくれるわけではない。最初はやさしい作品をやりつつ腕を上げるために少しの量難しい仕事もやるというようなバランスが取れるといいとは思うのだが、そういう仕事を探すのがなかなか大変だ。

2009年7月7日火曜日

巨大ロボットが窓から見えたら

どんなだろう?とか現実にはありえないものを想像しながら絵をつくることがある。実際にある建物の大きさなどを参考にしながら、想像する。実寸の模型などあれば感覚も掴みやすいのだが、無論そんなものは無い。しかし、3Dなどにしてみたり実寸の模型を眺める機会があると、意外に想像と全く違うということは少ない。むしろ大体想像通り。自分たちの感覚の確かさにひとりごちたりする。

2009年7月6日月曜日

背景の文字

昔は背景にある看板などの文字は手書きだったので、たまに変なものが上がってきた。急いで書いたのか単純に字が汚かったり、外国の人が描いてくれたものだと、お国の言葉になっていたり。
今はフォントが使えるのでずいぶん楽になった。
お国柄と言えば、森や林の背景を海外の会社に発注するとその国らしいのが上がってきたりしていた。以前、バリ島の背景会社に出したとき日本の風景のはずが、熱帯の森になって上がってきたことがあった。やっぱり、見慣れたものを描いてしまうんだなあ。

2009年7月1日水曜日

差し入れ

徹夜などしていると時々制作さんが差し入れなぞしてくれるときがあります。安月給から出してくれたと思うと涙が出ます。暇があればご飯に連れて行ってあげたりするようにしてますが、なかなか暇もないので時々です。がんばって早く仕事を終わらすことがまずは恩返しです。

2009年6月30日火曜日

冷蔵庫

どこのスタジオにも対外冷蔵庫が置いてあって、スタッフが飲み物などを入れている。夏になると当然混雑してきて、入れたまま忘れ去られているものが増えてくる。大体が耐え難い匂いを発するようになって初めて削除される。中には自炊しようと思って買ったのであろう肉や野菜が恐ろしい姿で派遣される時もある。そいうものを処理する人は決まって同じで、スタジオで一番まめな人である。感謝。

2009年6月28日日曜日

3秒シート

普通のタイムシートは6秒分あるのだが、絵の重ねが多い時は3秒シートを使う。Aから始まってKとかまで10枚ちかい絵の重ねが指示できる。セルを使っていた時はセルの厚みで下の絵が暗くなってしまうので、重ねる枚数に制限があったがデジタルデータではそういうことはないので、理屈では何枚でも重ねられる。昔のアニメを見るとたまにキャラクターの色がパカッと明るくなったり暗くなったりすることがあるのはセル重ねが原因なことは多い。沢山セルが重ねられるのは便利なのだが、描くのも見るのも大変。時間がかかります。

2009年6月27日土曜日

はやりすたり

目の描き方とか動きの作り方など、いつも流行りがある。が、流行りにのりすぎると大概新しさが感じられないか、あっという間に古臭くなっていくので塩梅が難しい。かといって流行りを完全に無視してるのも古臭いし。なんにしても普遍的な技術がないと流行りも使いこなせない。

2009年6月25日木曜日

運転技術

新人の進行さんに送り迎えを頼むと時々怖い思いをすることがある。私も2回ほど乗ってるときに事故られた時がある。横っ面に対向車が突っ込んできた時はさすがに肝が冷えた。先日恐ろしい運転をすると評判の進行さんの車に怖いもの見たさで同乗。「緊張します…」と本人。乗っているこちらも緊張。道すがら所々で、同乗者から指導教官のような声が飛ぶも、大勢で乗ったその緊張感が良かったのか、特に何事もなく帰り着く。 これからもその調子で頑張ってね。

2009年6月23日火曜日

仕事の環境

どんな部署であれ、うまい人と一緒にやるほうが確実に巧くなると思う。演出なら、うまい監督と一緒にやるのは当然だが、他部署のうまい人とやるのはとても勉強になる。なるべく色んな環境で色んな人と仕事をするのがいいと思う。たまには過酷な仕事場もいいかも。疲れますが…

2009年6月21日日曜日

タイミング

タイミングをとるのがうまくなる方法って何かないだろうか。クイックチェッカーがあれば、入れてみるのは手だが動画が入ってないと意外に実際と違って見えたりするので必ずしも成功するとは限らない。演出をやればイヤでも自分のチェックしたシートがそのまま見れる。が誰でも気軽に演出の仕事が出来るわけではない。原画マンなら自分の書いたシートをコピーしておいて演出の直したシートと比べてみるのはいいかもしれない。

2009年6月20日土曜日

スケジュールとフリーランス

フリーランスで一番難しいのは仕事を安定的に入れること。なりたての人は大体そこで苦労する。現状アニメ業界は仕事は沢山あるのだが、色んな事情でスケジュールが遅れがちなので、仕事が降りて来るまで間が空いてしまったり、その皺寄せで他の仕事とかぶったりしがちなので、そこをやりくりするのが難しい。スケジュール管理がうまくいくようになるとそこそこ稼げるようになるのだが。

最初のほう

若い話数の演出は役者が台詞をしゃべるスピードや間の参考がないので不安。
アフレコの難しいところだなあ。

制作会議

「スケジュールがこんなで物量がこんななんですけど、どうしましょう?」考えられる手は2つ。1つは人を増やす。もう1つは一人の人間がこなす仕事量を増やす。こういう会議の場で素晴らしいアイデアが出たのを見たことがない。切迫感の共有位にはなるかもしれないが。金も時間無い現場で打開策は、寸暇を惜しんで仕事するほかない。

2009年6月18日木曜日

2足のわらじ

たまに全然違う傾向の仕事を同時進行しなければいけないと気がある。自分は割と気分転換にな手役にならない方だが、セリフのテンポなどはうっかりどちらかに引きずられそうになる時もある。
絵描きさんでも全然違う絵の仕事をやっている人を見るとよく引きずられないなあと感心する。
まあ、まったく影響ないってことはないんでしょうが。同じ様な作品ばかりやってると明らかに影響されて違うのをやるとき困ったりするが、かといって全く違うのやるのもそれはそれで大変。慣れるには時間がかかります。あまり掛け持ちしないでやれるといいんですが難しいですね。

勢いあまって

コンテの内容を原画マンや作監が変える時は演出と相談していただきたい。映像が良くなるのであれば大概の演出家はコンテを変えるのはやぶさかではないと思うのだが、絵的に面白くても演出意図を汲まない変更は直しを要求せざるをえない。それと、コンテは演出家だけの思いで構成されてるわけでもないので他部署との確認が必要な場合があるから。他にも動画枚数などお金の問題が出て来るときもあるので。だからといってコンテが絶対ということはない。(もちろん変更は絶対認めないという人もいるでしょうが)作ってる最中のパッションが作品を持ち上げるから。

2009年6月17日水曜日

隠しても隠しきれない

個性というのは隠しきれないもので、どんな人でもない人はいない。演出でもアクションがうまい日常芝居がうまいとか。原画マンの絵柄の違いはもっとわかりやすい。誰でもそうだと思うが、向いてる作品に出合うとすごく伸びると思う。そこでの成功体験がモチベーションになって、苦手な作品でもうまくいくようになることは多い気がする。また、どうしても合わない作品というものはあるもので、己を知ってそういう作品は避けるというのも大事かもしれない。

2009年6月16日火曜日

中割り

若い子の原画で絵はうまいけどあたりが足りないことがよくある。動画を経験していても不思議と必要そうなあたりが無かったりするのは、自分なら割れるからということなのか。確かにうまい人が割れば大丈夫なことは多々あるがどこに撒かれるかはわからないので万全を期すに越したことはない。国内に動画を出したからと行って油断は出来ない。とはいえ、あたりや原画を沢山いれるのも大変だが。しかし、うまい人の原画は、どんなに急ぎでやっても意外に崩れないのが不思議だ。

レイアウトチェック

構図をなおす時つい自分で絵を描いてしまう。時間があって作監が手を入れられる時でもつい。言葉で的確な指示を入れられる人はすごいと思う。演出はやはり言葉を修練しないといかんと思いつつ、つい絵を描いてしまう。描ける方が便利と思う時もあるのだが、あまり前向きでない場合が多い。

2009年6月15日月曜日

食うや食わざるや

しばらく前に話題になっていた動画マンの年収約百万円…。東京にいたら死ねといううのと同義な数字だろう。税金、健康保険、国民年金なんて払ったら、涙が出てくる。役者やミュージシャンの卵たちの暮らしもかなりつらいものだが、彼らはまだしもバイトをする時間がある。しかし、動画マンには確実にない。彼らの人生から相当な時間を捧げてもらっているのに対しては安すぎる対価。報道を見ると自分の年収の推移も調査結果にほぼ合致。最近は少し上回っているが…。監督の平均年収約五百万て…それでも実写の世界に比べればましかもしれないが安すぎだろ。
お世辞にも産業などとは言えない業界な気がしてきた。せめて年相応に食べていけるだけのお金は欲しいものだ。何か考えないといけない。才能のある若い人が去っていくのを見るのはつらい。

2009年6月14日日曜日

すげえ

甲冑パンツ…すごすぎる、知らなんだ。

近すぎて見えない

若い社員のアニメーターと制作はうまくいってないことが多い。若いアニメーターは労働条件が過酷なので、そもそも業界に対する不満はたくさんあると思うが、同じ会社にずっといるから不満に感じる面もあると思う。「他所ならもっとこうなはず」と思っても他所に行くと別の欠点があるという具合に、どこも一長一短。制作の方でも社員に対する甘えもあり、同じ会社でもフリーになって入ってみると景色が違うということもある。アニメーターは社員といってもほとんどが契約社員で出来高なので、基本的にはフリーランスになって作品ごとに場所を移るというスタイルが正しいと思うが、営業などが苦手な人もいるので難しい。しかし、同じ会社にずっといるから見えないその会社のいいところ悪いところはあると思うので、お互い距離を置いてみるというのはいいことだと思う。

魂の…

撃っても撃っても切れない銃弾、なんでそれは魂の弾丸だから。剣を構えた女の子がクルリと宙を舞って着地、ズガアア~ン地響きと共に着地した地面が割れる。なんで?それは、魂の重さだから。
現実には見えないものが形になるのが面白い。

2009年6月6日土曜日

変わったこと

一枚絵でみると突飛な色使いなどした絵も普通に見れるのだが、物語のなかに取り込むのはなかなか難しい。日常っぽい話だと余計。

2009年6月5日金曜日

狭い部屋

狭い部屋のレイアウトは難しい。6畳一間の狭さとかなかなかうまく出ない。画角のとりかたとかカメラの高さとか芝居とのからみとか。個人的にはあまり広角は好きじゃない。広く見えがちだから。なめものとかは効果的。何にせようまく嘘つかないと狭さはでない気がする。

2009年6月4日木曜日

男子3日会わざれば、刮目して見るべし

突然よくなる人がいる。相性の合う作品に出会ったりすると。
同じ人なんだろうかと思うほど。愛は人間を変えるんだなあと思ったり。
すごいなあ。

2009年6月3日水曜日

技術

ある程度以上にいくと、努力に対しての伸び幅が少なくなる。なので、技術だけをつきつめても、新しい何かは望めない。アニメーターの場合だと素描力がある程度あるなら、なにを描くかモチーフ捉え方が問題になる。モチーフの捉え方も技術だという向きもあろうが、肉体的鍛練や理論でのりこえるのが難しいと思うのであえて区別する。役者でいうなら発声など身体能力以外の部分や理屈で覚えられる芝居の先にある芝居というところか。要は自分で発見をしていかないといけない領域こそ表現においては重要なのだが、自分で発見しなければいけないのだから、発見そのものを教えて貰えるはずもない。しかし、他人の発見の体験を追う事で、発見の方法論みたいなものは学べると思う。うまいアニメーターや演出などは日常見ていても見過ごしたり意識していない場面や仕草を捉えるのがうまい。無意識の中にあるものを意識の表面に引き上げるのが表現の技術だろう。

2009年5月31日日曜日

ヘタでも

何か湧き上がって描いたものは面白い。コンテでも、原画でも。
最近は洗練より衝動が大事だと思うようになった。
いや、衝動だけだとうまく伝わらないことしばしばなのだが、洗練されると零れ落ちていくものもある。
うまくバランスが取れるとすーっと体の中に入っていくのだが、そのバランスは難しい。
受け取る人によっても違ってくることもあるし。
今の自分の役割は、若い人の衝動をうまく洗練させて作品の中に落とし込んでいくことかもしれない。
衝動のない創作物ほど無意味な物はない。
仏作って魂入れず、は勘弁だ。

2009年5月29日金曜日

何気ない会話

会話のシーンの演出をどうするか。特に日常的なシーンの。会話は言葉がメインなので、絵的な変化は少ない事が多い。例えば台所のテーブルに座って会話してるとか。会話の内容に対して台所という場所が何か意味を持っていると面白いのだが、特に無い場合、会話している人物の位置関係や芝居に意味を持たせるよう工夫したりする。何か小道具がシーンを膨らませる事もある。何にせよ言葉に出ない感情、あるいは言葉の意味を強化するような演出が必要。

2009年5月28日木曜日

サンダル

靴を履きっぱなしだと足が蒸れてしまう。のだが、スタジオ用のサンダルをまだ買ってない。
スタジオを変わるたび新しいのを買う。足が臭いと嫌われるので早く買わなきゃ…
おまけに徹夜するとむくんでしまう。あんまり泊らないようにしてるけど背に腹は代えられぬ時もある。
最近スタジオでよく見かけるのはクロックすもどきのサンダル。本物は少し値が張るので、もどきの人が多いかも。夏になれば、ビルケンシュトック履いてくんだけど。

2009年5月27日水曜日

ジグソーパズル

同じ絵で違う切り方のジグソーパズルが何種類も混ざった中から、正解のピースを見つけて組み上げてゆく。コンテを描いてるときはいつもそんな気分。

2009年5月26日火曜日

ラッシュをみせて

私:どうだった?
アニメーター:うーん…
私:……(頑張ります…)

2009年5月22日金曜日

映画

意外にアニメ以外の映画などをみないスタッフは多い。別にアニメしか見てないから悪いわけではないが、作品の量が圧倒的に違うので、見た方が得るものは多いと思う。ハリウッド映画以外にもいい映画は沢山あるし。必ず自分好みもあると思う。本も読んだ方がいいとは思うが。なかなか取っ掛かりが難しいか。沢山ある名作のなかから自分好みを掘り当てるのは楽しい。無理やり時間を作ってでもやる価値はある。

質感

すべてデジタルデータで描けば絵の質感がもっと幅広く表現出来るだろうか。線を繋げずに描いたりするのも塗り方を変えれば可能だろうし。線の種類ももっと色々使えそう。現状一番ネックなのは動画作業か。デジタルで中割り出来る動画マンが増えないとダメそう。あるいは原画マンが動画までやるか。プリントアウトして動画させるのはうまくいかない。質感みたいなものを持ち込もうとすればするほどアナログな作業が増えて大変になるのだが。やらないと絵的な幅は広がらない。

2009年5月21日木曜日

微妙なニュアンス

言葉だけでニュアンスを伝えるのは難しい。
しかし、手を出してしまうとそれはそれで問題があったりする。
見極めが難しいところだ。
スタッフの人数が増えれば増えるほどニュアンスも共有しにくくなるし、ニュアンスが伝わらないということは同時に熱意みたいなものも伝わりにくい場合が多いので少人数に越したことはない。
大勢で制作する作品は全員にスポットライトが当たるわけではないし、縁の下の力持ちたちのモチベーションを保てるかどうかは作品成功の肝な気がする。
なるべく全員参加の作品づくりをしたい。

2009年5月17日日曜日

美男美女の定義

そもそもカッコいいとかカワイイとかの感じ方には人それぞれ差があると思う。
アニメのキャラの造形も好みがあると思うが、造形そのものでなく作品の中でかっこいいと定義されていても実写と違ってアニメのキャラは抽象的なのでそこに重ねて見える人物像は一人一人違うだろう。
実写であれば役者の顔があるので、そこに他の誰かの顔をダブらせることはしにくいと思う。が、アニメの場合同じキャラにダブらせるイメージは人それぞれ全く違うのではないか。
この子は、何組のだれ誰に似てるとか近所に住んでる誰とか、自分の知っている人のイメージを勝手に重ねることは容易だ。その分世界を自分に引き寄せやすいと思う。反面、客観性や共有出来るイメージが得られにくいか。

2009年5月16日土曜日

身長差

キャラクターの身長差は何センチくらいから表現できるんだろう。感覚的には5センチだと微妙、10センチなら判る、くらいな感じかと思う。並べて比べれば判りやすいが、映像の中だとある程度誇張しないと判りにくい時もある。微妙な身長差は表現しにくい。そこが重要という時はあまり無いのだが、気にされると困ったりする。

2009年5月14日木曜日

地味な変化

少し昔の机は紙を入れる棚の幅が狭い。前はテレビだと紙が小さかったのだが今は少し横長なので幅が足らない。映画などやってた会社は昔の机も使えるのかもしれない。古くても棚さえ直せば使えるのだが、修理してくれるのだろうか。最近はパソコンを置いたりするので机の背に穴があいていたり、変わらないようで地味に変わっている。鉛筆削りなんかも知らない間に色々進化してるのだろうか?

師匠

昔は会社の中の先輩なんかが師匠だったようだが、演出はほとんどフリーランスなので師匠に出会うのはとても難しい。いや、師匠なんていなかったよと言いながらちゃんとやってる人は沢山いるのだが、師匠がいた方が早道。教えるのが好きな人はいるもので、そういう人に出会ったら大チャンス。師匠の方でもこいつ使えると思えば積極的に教えてくれる。いつしか別れの時が来るがそれまで持ちつ持たれつ。反面教師であっても師匠は持つべき!

2009年5月12日火曜日

紙の大きさ

これからハイビジョンが増えるにつれて大きな紙で絵を描かなければいけないかもしれない。映画と同じ大きさで描けばいいのだが、当然手間がかかる。ゲームなどのハイビジョンの映像を見ているとすごいなあ、と思うのだが、アニメだとあそこまで劇的にきれいにはならない。大きな絵にしすぎると相対的に線が細くなってしまうから。紙を使わずデータでかいてしまえば克服できるのかもしれないが。なかなか難しい問題。

2009年5月11日月曜日

コンテの相性

作風を合わせるのは、なかなか難しい。相手がこちらの事をある程度しっていればいいのだが、制作の紹介で監督が知らない方だったりする場合一応こちらの得意分野を伝えたりするようにしている。いくつか上がってるコンテなどあれば参考にするが、それでも相手の好みに完璧に合わせることは出来ない。ので、ある程度自分のことを知っていて使って貰うのがいいのだが、それだけだと似たような仕事しか来なくなる。それもつまらないので、絶対合わないと思った仕事以外はなるべく引き受けるようにしている。あとでチェック後のコンテを見て、あまり手が入ってないと嬉しい。

2009年5月8日金曜日

日本人のボディランゲージ

「もう〜っ!」とか怒りながら両手の拳を握りながら腰のあたりにかまえる…よく見るけど実際はあまりやらないと思う。けど全くの嘘かと言うと、緊張すれば拳は握るだろうし、ディフォルメとしてはそんなに間違ってはないとも思う。
基本的に日本人はボディランゲージの少ない民族なので、長い会話の時などどういう芝居をつけようか悩む時がある。構図に意味を持たせて芝居がなくても会話の内容が暗喩されるように工夫してみたりとか。何か作業(会話と関連付けた)させるとか。会話のシーンではなくてもアニメで使うボディランゲージはいつも嘘くさくならないように気を使う。最近は特に会話で見せるシナリオが増えたので、型にはまらないようにしないと。
単にリアルにするだけでは何も伝わらない。けど自然な芝居をつくるのは難しい。

2009年5月7日木曜日

えんぴつ

自分は演出なのでそれほどこだわりはないのだが、文具はこだわりのある人が多い。絵の描き方は千差万別なので他人の真似をしてもうまくいかないこともあり自分の描き易いものを探すのに苦労する。といいつつ、文具を吟味するのは楽しい。話だすと結構盛り上がる。最近は色んな物が出てるので画材屋へいくとあっというまに時間が経ってしまう。最近のお気に入りは消える色鉛筆。固めの使い心地がよいのを教えてもらって使用中。

2009年5月5日火曜日

絵だけではなく字を書くことがしばしばある。演出は特に。コンテのト書き、指示書きや伝言など、ある程度読める字で書かないと意味がないのだが、急いでいたりすると汚くなりがち。自分でも読めない時もある。字はきれいなほうが見た目にうつくしいし見やすいのでなるべく丁寧に書くように心がけているのだが、なかなかうまくならないのは何故だろう。美しい字の絵コンテ、憬れます。

2009年5月3日日曜日

アニメスタジオに入ると城がたくさん並んでいる。
本やDVDおもちゃなどが所狭しと積み上がった机がまるで城みたいだから。
ほとんどが好きが昂じて仕事になった人ばかりなので、仕事がらみののものがどんどん増えていって城になるのだが、アニメーターだと長時間スタジオにいる人も多いので生活用品が完備されていたりもする。アパート要らないんじゃない?という人も中には…
 少数ではあるが仮眠室やシャワーのあるところもあるのでそういうスタジオは自宅になりがち。
しかしそんな城もいつかは壊れる日が来る。
スタジオ内の引っ越しや、ほかのスタジオに移る時、城を取り壊していくと、大概できるのはゴミの山。
自分はそれがめんどくさいのでスタジオの物は極力少なくするようにしている。
ただのめんどくさがりなんですが…

2009年5月2日土曜日

ダブルクリップ

仕事をしていると溜まるものがいっぱいある。
余ってしまったコンテ用紙とか、カット袋、封筒の類、使い終わった設定とかアフレコ台本。
ダブルクリップは設定のコピーの束を留めるのに使ったりするのだが、意外にたまってしまう。
簡単に壊れるものでもないので、スタジオに入れ物が置いてあって使い終わったら再利用しているところが多い。気づくとたくさんたまっておき場所がないので机の上でとぐろを巻いている。
リサイクル重要ですね。

2009年4月30日木曜日

演出というお仕事

演出家ってどんな仕事なんだろう、と学生の時は思っていた。
もちろん、本で得た知識などで漠然とは知っていたが実際のところ本当に演出家になってしまった後もしばらくはよく分かっていなかったと思う。
『演出』『監督』という言葉自体が仕事の内容を分かりにくくしている気もする。
じゃあ演出ってなんだろう。
例えば、テーブルの上に何かが載っていて、それが林檎だったとする。
それを人に伝えるには、言葉なら『テーブルの上にリンゴがあるよ。』という。
それを絵で伝えるなら「テーブルの上に置かれた紅いリンゴ」の絵を描くだろう。
今度はテーブルの上に乗った林檎が美味しいリンゴだということを伝えたいとする。
言葉なら『テーブルの上に美味しいリンゴがあるよ。』とでも言っておこうか。
これを絵で伝えようとすると……とたんに難しくなる。
誰かが美味しそうに林檎をほお張っている絵を描けばいいだろうか。
言葉にしたところで、八百屋さんが「このリンゴがとても美味しい」ということをお客さんに伝えるには
すごくテクニックがいるだろうと思う。
実際にリンゴを試食してもらうとかが手っ取り早いのかもしれない。
というわけで、どうやったらその『美味しい!』が伝わるのか考えるのが、演出家の基本中の基本の仕事だと思う。
こう考えると、演出家という名前でなくとも演出家的なお仕事は世の中にいくらでもあるのだが…。
それはさておき、例えば同じ旅行に行ってもAさんが話すとものすごく楽しかった旅行に思えるのだが、Bさんの話を聞いてもそうでもない、という体験はないだろうか?
同じ話をしているのに話し上手な人のはすごく面白くきこえる、同じようにフィクションの演出家はどうやったら同じ話がより面白く伝わるかということを考えるのが一般的なお仕事だといえる。
一般的…というのは、演出家の仕事はとんでもなく難しいもので…話が長くなるので今日はこの辺で。

2009年4月29日水曜日

ゴールデンウィーク

何も考えず仕事へ出たが、ふと気がつくと今日は休日だった。
しかし、仕事を始めてこの方祝日など気にしたためしがない。
最近は、制作が気を使ってくれるようになった気もするが、大体皆カレンダーに関係なく働いている。
だが、休日がないわけではなく、世間の人が働いているときに休んでいたりする。
人込みを避けて遊びに行けるのは、フリーランスならではかも。
その代り、会社勤めの友達とは縁遠くなるが、そんな友達もほとんどいないので良しとする。
とはいえ、スタジオにいく電車の中で行楽に行く人たちを見かけるとうらやましくはなるのであるが。

2009年4月28日火曜日

疫病

今年はだいぶ時期がすぎたが、スタジオは風邪はやりだすと恐ろしい。基本的にデスクワークなせいか近くの席の人にあっと言う間にうつっていく。最近は加湿器や空気清浄器を自前で買って防衛してる人もいる。暇な時ならまだしも忙しいときだと周りの人にえらい迷惑をかけるので、みんな気をつけているのだが、引いてしまったらしょうがないので、あとは早く治すのみ。風邪の他には水虫とか。何日も泊まりで不潔にしていたりして恐ろしい目に会った話を漏れ聞く。
気をつけよう…。

2009年4月27日月曜日

痩せる?太る?

もっぱらデスクワークで生活時間も不規則になりがちなこの仕事。忙しくなると太る人と痩せる人に別れる。徹夜をする時、食べて眠気を克服するか食べずに克服するかによって別れるきがする。自分は眠くなるので食べないタイプ。身体を動かしているわけではないので、痩せてても全然健康的じゃない。アニメ業界は自転車好きが結構いるのだが、自転車通勤してきて仕事をこなしてる人は尊敬する。自転車できて3日くらい会社に泊まる人もいるが…。
毎年、今年こそ運動しようと思いつつ一年が終わる。うーん不健康。

2009年4月25日土曜日

渡り鳥

フリーランスで仕事していると、思わぬ場所で一緒になるスタッフがいる。数年振りの再会だったり、全然違うスタジオでの再会だったり。また、直接一緒にならくても知り合いが別の知り合いと仕事をしていたりして、よろしくお伝え下さい、なんて言う事もある。久しぶりに会って、お互い上達してるとなんか嬉しくなったり…。
狭い業界なので同じ人が同じ場所をぐるぐる周っている。ある程度キャリアができるとあまりの世間の狭さに気まずい思いをすることも…。最近は人も会社も随分増えたがそれでも違うスタジオなのにどっかで見た面子だなあなんて日常茶飯事だ。みんな頼りになる知り合いにと声をかけると、どうしても似たスタッフになりがちである。受けた恩は返す、とまた同じスタッフ。しかし、そうしてるうちに新しい出会いもあって面白い。

2009年4月24日金曜日

色のこと

キャラクターなどアニメーターが作画したものの色を決める作業はとても重要だ。背景美術と連携しながら具体的な世界を創っていくのだが、作画したものの色を決めるのは色彩設計および色指定で、センスのいい人がやったのとそうでないのとでは雲泥の差がある。
特に昨今は非常に特殊な色使いをする作品も増えてきたのでその重要度は増していると思う。
しかし一方その重要性を理解してないスタッフも多い。特に最近は撮影でかなり色もの調整をやれるようになったので、色指定の作業などいい加減に考えられてる向きがある。これは、演出だけでなく、当の色指定もだ。賃金もデジタルになってだいぶ楽になったとはいえ、特に高いわけではない。
色はデジタル化されて基本的には、ほぼ無限ともいえる色数を手にした。
なので、本来微妙な色の調整が行えるようになったはずだ。しかし、なかなかそれは使いこなされていないのが現状だ。演出側のアイデア不足も大いにあると思う。
また、モニターの色調整の難しさもなかなか解消できない問題の一つだ。
現状、撮影と仕上げは持っている制作会社は多いが、美術はほぼ外注なので、日常的に同じモニターで確認するのは難しい。
そして、各家庭で視聴するモニターを調整することはもっと難しい。
だが、その差異は技術の進歩で少しづつ埋まっていくだろうし、まだ挑戦できることは山のようにある。

おまかせ

絵の場合だと1カットしか出て来ないキャラクターや小物は、ほとんどの場合担当する原画マンにおまかせになる。
世界観から外れなければ自由にできるので、個性がでるし発揮できる。
原画に限らず演出、仕上、撮影など各部署ごとにお任せになる部分は必ずある。
ある程度技術が向上して来ると色んなことを任せてくれるようになるので、そうなると仕事が楽しくなって来る気がする。かなり自由にやらせてくれる場合もある。
逆にまかせた以上はそのひとの個性をなるべく生かしていくべきで、お互い寛容になりたい。やたらに人任せにするのもどうかとは思うが…。
しかし、最近はおまかせというと困った顔をされる時がある。単に無茶な注文をしているときもあると思うが、時間がないので考えるのがめんどくさいとか単に技術が足りないとか理由は色々だと思うが、そういうチャンスはなるべく挑戦すべしと思う。失敗しても責任は仕事を振った方が取るのだし。
大勢の人間で作っているメリットは色んなアイデアが詰め込まれてるところにあるから。

2009年4月23日木曜日

セリフの長さ

日本のアニメは基本的にアフレコなので演出がセリフの長さを決める。しかし、新番組などで役者が決まっていないと、どんな話かたをするのかわからないので失敗することがある。役者が判っていたところでうまく合わないことは多々あるが。
いずれにせよ、アフレコは役者と演出家の歩み寄りが必要だ。アフレコでいいのは絵が完成していれば役者が絵を見て芝居出来ることだ。
短所は役者が自分の間で芝居しにくいこと。声優の経験が少ない有名な役者が、自分の間でやれなくて持ち味がでていないことがよくある。
アメリカなどで多いプレスコ方式は役者の芝居を先に録るので芝居はしやすいが、役者が絵をみるのは基本的に完成後になる。そしてアニメーターが役者の演技に合わせて絵を描くためにセリフの長さを計ったりする作業が必要になる。
アフレコとプレスコどちらがいいかは一長一短だが、一般的にプレスコの方が絵を描くのに時間がかかるので日本ではアフレコを採用しているところが多いようだ。しかし、もう少し役者の好きな間で演じて欲しいこともあり、そういう時は可能な限り絵をなおすようにしている。
撮影、編集がデジタルになったので間を変えるくらいなら直しの手間は格段にすくなくなったからだ。だが、もっと役者が芝居しやすくなる方法は何かないだろうか?

2009年4月21日火曜日

今晩は雨

雨の表現はセルを使っていた頃は、セルに針のようなもので傷をつけてそれを何枚かランダムに置き換えたりしてつくっていた。最近はCGでどんなパースがついてても簡単に出来るようになった。地面にあったて 出来る波紋まで出来たりしてびっくりする。十数年前の関わった作品で 、撮影さんが雨の素材を持っていたのだが、監督はその素材に納得いかなくて自分がつくったことがある。しかし、なかなかうまく行かなくて何度も何度もやりなおした。結局あまり納得いかないまま撮影することになったが、雨の奥深さを思い知った。CGでの表現がスタンダードになった今、もう一度考え直すと面白いかもしれない。

2009年4月11日土曜日

アニメの教科書

スタジオに入った新人さんがこれを見て勉強してました。
便利な本ができたもんだ。

2009年4月10日金曜日

昼間の撮影効果

夕方や夜のシーンはディフュージョンやグラデーションを入れたりと様々な撮影効果が入ることが多い。しかし昼間の撮影効果となるとレンズフレアや強い光を表現する時、白くとばすくらいしかない。
これをやると昼間の画面に奥行きが出るという決定打は無いようだ。
作画や美術が良ければ通常はなにもしなくてもいい。後ろ向きなことではあるが、特に作画が失敗しているときなど夕方や夜は撮影効果でごまかしが効きやすい。
しかし昼間はこれという方策がない。気を使って作っても、たまにミスはある。そいうときに補える何かがあるといいのだが。
アニメに限らず実写のデイシーンもやはり照明と撮影の技量が大きく出ると思う。日本は特に曇りの日が多いのできれいな光をとるのは難しい。
ハリウッドよりイギリス映画の方が照明がきれいなイメージはある。人物の目のあたりだけすっと差し込みの光を入れたりするのはすごく美しい。
昼間の光を表現するキーワードは常に模索している。

2009年4月5日日曜日

徹夜

足はむくみ、肩や背中は筋肉痛。
年を食うほどにつらくなってきます…。
しかしやらねばならぬ時は、どうしてもさけられない。
アニメーターで会社に住んでる人はいっぱいます。
確かにスタジオとの往復の時間を考えると、とまりたくなるのですが。
朝来て夜帰るという規則正しい生活をしている人は少数派に見受けられます。
規則正しい生活を義務付けているスタジオもありますが、こだわりを実現させるためにはしゃくし定規にいかないこともままあります。
しかし、若い人には自分がちゃんとしているわけでもないのに、規則正しい生活を推奨します。
やはり、体を大事にしてる人の方が長い目で見るとうまくいくので。
体壊すと浮き草稼業はほんとに致命的です。自衛あるのみ。
若い時は一週間くらい家に帰らなくてそれでも楽しかったりしましたが、今は自重です。

2009年3月27日金曜日

モブシーン

モブシーンがあるといつも悩んでしまう。描くのがとても大変なのでコンテで気をつかってあげないと、とんでもなく大変になってしまう。かといって、あまり減らすと雰囲気が出なかったり。
あとはモブの中で会話していたりする場合レイアウトも難しかったりする。うまくやらないと何を見せたいレイアウトなのか分からなくなりがち。
アニメーターでたまにモブが好きという人もいるのだが、それにしても安い単価でやらすには忍びない。本当にモブをやってくれる人にはいつも感謝である。

2009年3月22日日曜日

真似されたい♡

あ、このカット割りかっこいいとか、このシナリオの展開最高!とか、このギャグ面白いとか思ったいい演出は真似することがある。もちろんただ真似しても作品に合わなかったり、つまらないのでアレンジを加えて。そもそも創作物に真のオリジナルなどは存在しない。
われわれの場合神話の時代から脈々と続く物語というメディアにアニメーションというメディアを融合させて、延々その技術に磨きをかけてゆく。おたがいに影響しあって、成長していくのであって『おれの演出パクリやがった許せん』という話はあまり聞いたことがない。むしろ真似されて嬉しい♡くらいである。
いや、真似されるような演出をめざしていきたいなあ。

2009年3月15日日曜日

面白いんだけど…

面白いんだけどやりすぎかも。原画マンからの上がりを見てそう思うことがある。
そういう場合どうするか…結構悩むのだが、周りの意見なども聴きつつやはり通せないとなったとき、原画マンのテンションを下げずに直してもらうには結局正直に話すしかない。
話し合いが決裂すればこちらで勝手に直すことになるが、味は悪い。
いっそ下手な人ならばこちらも躊躇ないのだが、原画は単価で請け負っている場合がほとんどなので、明らかに手抜きな仕事以外はリテイクする時多少申し訳ない気分になるのである。
若い人が相手のときは戻さないと勉強にならないこともあるので、大きな負担にならない程度に戻したほうがいいと思うが、戻すことによる時間のロスなどもあるので、こういった作業の割り振りは演出の腕の見せ所でもある。
やりすぎ原画は、若い原画マンに多いのだが何にも考えてないよりは非常に前向きではありうまいこと軌道修正してあげつつ演出意図が達成できるようにしたい。
ベテランの場合は分かってやってる場合がほとんどなので、決裂する時もままある。
うまい原画マンは演出的なセンスもいい。

2009年3月3日火曜日

ロトスコープ

最近の若いアニメーターはデジタル機器を駆使してロトスコープに近いようなことをやっていたりする。デジカメで自分でポーズをとったり芝居したものを静止画や動画で撮って、さらにそれをパソコン上で線画にまでしてしまう人もいるようだ。
しかしロトスコープを過信すると思わぬ失敗をすると思う。
実際の映像を元にすると一見リアルに見えそうな気がするが、たとえば演技しているのが自分だったりした場合、自分の身体能力や演技力が果たしてその芝居を成立させるのに十分なだけあるかどうかということだ。
確かに動画を取って観察するのは大いに参考になると思うのだが、過信すると実は真実から帰って離れることがあるやに思う。
人間の感覚はとてもいい加減なところもあるが、逆に鋭いところもあるので、常に自己批評を加えながら練り上げていくしかない。

2009年2月23日月曜日

アニメのファッション

アニメのキャラクターが着る服の表現はむづかしい。
基本的に輪郭線と色面で構成されているので質感などはなかなかうまく表現できない。
模様も苦手である。あまり複雑な模様は手描きだと追い切れないので、最近は漫画のトーンのように貼りつけたりするときもある。
そもそもアニメのファッションセンスはダサいという話もあるが、最近はおしゃれな人も増えたのでだいぶマシになったんじゃなかろうか。
決められた枠の中でどれだけ多彩な表現ができるかかんがえるのは面白いと思う。

コンテの下書き

コンテ書くのが早い人は下書きする人が多い気がする。
3日であげるとか、どうやるのか全く分からない。一週間でも半パートがせいぜい。
自分も下書きしてみたことはあったが、時間がかかったので、ほぼ頭から描いていくことが多い。
どうやったら速くなるんだろうといろいろ試行錯誤はしてみたものの、これという方策が見いだせないまま。
アニメーターにもっと絵は適当でいいんじゃないと言われたこともあるが、あんまりラフなのも不安だし。
下書きするほうが全体のバランスなんかは確認しやすいのかしらんと思うのだが、大体途中で飽きてくる。清書する時には変えてしまいたくなることが多かった。
某大御所のようにシナリオもなしに頭から描いていくようなことはさすがに一生かかってもできそうにないが、建て増し的な作りが好きなのは日本人のサガなのかしらん。

2009年2月22日日曜日

セル描き?背描き?

部屋の中にある机や小物などセル描きにするか背景で描くか迷うときがある。
普通は キャラクターとの絡みが複雑でなければ、背景にすることが多いが、
最近は美術さんも時間がないので小物の形がいい加減なまま直しきれないときもあり、作画のほうが信用できるときは作画にしてしまうこともある。
逆に作画が信用できないときは、美術さんに任せることもある。
消極的な理由で選択を迫られる時はつらいが、仕方ない。
やったことがないスタッフの技量は分らないので失敗することもあるし。
背景描きだったものが壊れたりするときは途中でセルと置き換えるが、そういうものは極普通にある。
ただデジタルになってから組み線がずれることが結構ある。スキャン時に歪むからだと思われるが、
撮影でマスクを切ってもらったほうが確実なのかも…

2009年2月15日日曜日

水着と縦PAN

『水着の女の子が出てきたら必ず縦PANして全身見せてあげなきゃいけないんだよ。』と昔言われた、という話を聞いた。その人はそれを聞いて絶対やるもんかと思った、といっていたけれど。
お約束の縦PAN、自分はやってしまいます。作品にもよるけど。
ギャルものだと確実に水着のいい絵は期待されてるわけで、期待にはなるべく応えておきたいなと思う。自分も面白いと思える範囲では。
しかし、縦パンしなくとも、見せる絵は作れるとも思うので、安易にやるのは努力不足でつまらない。
カットを割ってパーツを見せていくのもありだし。
カット数減らすために縦パンだけで終わらせました的な演出もたまに見ますが、貧乏くさくて悲しい。
水着に限らず、初登場のキャラが出た時は、縦パン使いがちだが、見てる人の主観にしたりするのが一般的で自然なやり方だろうか。
それも流れの作り方によってはうまくいかないときもあるとは思うが。
アニメは基本的に二次元の世界の表現なので、カメラワークをつけるといっても奥行き方向で構図を変えることは難しいので、頭を悩ます。
一つのカットの中で目線の高さを変えるというのも難しい。
作画で動きとうまく絡めつつ見せられるといいのだが、予算にもよるなぁ。

2009年2月10日火曜日

色つき

最近に限らないようだがオールカラーでカッティングをしたことのある人は少ないみたいだ。
お金もかからないし、編集もきちんとできるし、アフレコも表情とかブレないし、いいことだらけ。
スケジュールがないと難しいけど。

2009年2月2日月曜日

恋愛もの

宇宙怪獣や魔法少女がでてこなくても、美少女美少年の恋愛物はファンタジー。
一番現実的で誰にでも起こりうる物語。
神話の時代から幾つもの恋愛が物語られてきたが、いまだに飽きずに語られる。
萌え系美少女は駄目な少年に理屈などない一方的な愛情を持ってくれたりするが、現実の恋愛も理屈なんてよく判らないようなものだったりするので、ありえねーよという批判は的外れなのかもしれない。妄想の中の恋愛なんて大概ありえないようなもんだったりするとは思うが、そういう妄想のほうが面白いのかも。
現実の恋愛はそうそうドラマチックではなかったり、ドラマチックすぎて頭が痛かったりするものだから。
アニメのキャラクターたちは現実の役者と違って観る人それぞれの妄想で補強されて、異様に強固な形をもちうるので、はまると抜け出せないような恋に落ちることも分からんではない気がする。
ただ、永遠に脳内以外で肌のぬくもりを感じることはないが。
アニメの恋愛物は距離感が大切なのかしらん。

2009年1月23日金曜日

日常の変容

物語はそもそも嘘、虚構だ。
虚構だがしかし現実の断片のモザイクであったり、未来には現実になる可能性があったり、何かしら現実とつながっているものだと思う。
現実とつながっていない虚構はただのウソか、意味のない言葉の連なりだろう。
物語として現実を変容させるための嘘として今どんなものが必要なのか、もっぱらそのことしか最近考えない。理屈っぽく考えた嘘なんておもしろくなさそうだとは思うが…。
アメリカの黒人大統領と言えば今まではモーガン・フリーマンしか思い浮かなかったが、ついに本物の黒人大統領が現れた。映画の世界が現実になった。
人間が想像できることはいずれ現実になっていく、と思って物語を作っていくほうが面白い。
悪いことは現実にならなくていいけれど、いいことはどんどん現実になっていくといい。
物語がその片棒を担げたらこんなに楽しいことはない。

2009年1月14日水曜日

コストダウン

アニメの制作費をコストダウンさせることはとても重要だと思う。
現状のアニメ製作には莫大な費用がかかるが、その資金を集めて回収するのはとても大変だ。
当然、企画は通りにくい。
漫画のように紙とペンがあれば何とかできあがるということはない。
しかし、コンピューターの性能が上がってくれたおかげで、だいぶ少人数でも製作が可能になってきたと思う。
まだ、商業ベースでまわせるほど人材がいないとは思うが、すこしづつデジタルを使った製作のノウハウをためて、もっと気楽に企画が動かせるようになりたい。
紙と鉛筆は絵を描くには最適なのだが、最終工程がデジタル化してしまっている現在では余計な手間がかかる。コンピューターで絵を描くのがもっと楽になるとよいのだが。
将来的には作品によって何を重要視するかで方法を選択していくことになるのだろうが、とりあえずデジタル環境の充実を望む。

ネタ考2

東京が南の島で自然の恵みが豊富にあって誰も食うに困らない場所だったら…。
みんな幸せで争いのない世界になるんだろうか。
ならないんだろうなあ…。
でも南の島ってのどかなイメージがある。

2009年1月9日金曜日

超能力(ネタ考)

超能力はアニメの得意技。なにせ超能力だからなんでもあり。光線出そうが空を飛ぼうが。
しかし、かなり色んなネタをやりつくされた感あり、意外と新鮮味に欠けがちか。

2009年1月2日金曜日

夢と現実の境

もはやアニメの得意技とは言えなくなった気がするが、アニメや漫画の絵の持っている抽象度の高さは幻と現実を等しく扱うのが得意だ。
CGが進歩した今は実写でもかなりいろんな素材を混ぜて扱うことができるようになったが、緻密な合成をするのはまだ大変だと思う。
例えばウォルトディズニーの作品のように木や動物や妖精が人間とともに踊ったりするようなものもCGでかなりうまく合成できると思うが、アニメはすべてが絵なので特別なことをしなくても違和感なくそれぞれを同居させることができる。文脈的なことは別にして視覚的にはほぼ完璧に。(小説などではもっと簡単に)
逆にいえば現実と幻想を描き分けることは難しいので、何をやっても空々しく見えてしまう恐れがある。
というわけでアニメにおいてはいかに本物らしく現実に存在するように見せるかが絵描きの主な関心となるのだが、突き詰めると絵の持つ抽象性を突破することは不可能だし不毛だ。
単にリアルということであれば現実の人間の芝居にかなうものではない。
結局扱う題材がもつ夢と現実の境を見極めないとうまくいかないし、題材選びで作品がうまくいくいかないは半分くらい決まる気がする。
しかし、いろんな人間が興味を持てる題材を探すのはとてつもなく難しい気がする。