2008年11月30日日曜日

プロでも分からない役職

アニメは仕事が細分化されているために役職の名前を聞いただけでは何をやってる人か分からないことがある。監督と演出とか監督と総監督とか。
じゃあ仕事を始めてから分ったかといわれると、細かな部分は現場によってかなりまちまちなのでよく分からない。
そもそも集団で作るものはどこがだれの手柄とかいいきるのは本当は難しい。しかし要になった人は確かにいるのでその人が代表してお褒めの言葉を与ったりはする。
なのでプロもスタッフロールを見ながらどの人が作品を押し上げたのか、漠然と想像しながら見るしかないのである。

2008年11月27日木曜日

美術設定

美術設定を工夫することでキャラクターの性格などを表現したりすることがある。日常でも部屋を見ると何となくその人の人となりが分かるように。
何も語らずともある場所にある人がいる、それだけで色々伝わることがある。
悲しい時に海辺に行くのか遊園地に行くのかはたまたパチンコ屋にいくのか。悪の親玉がピンク色のメルヘンな部屋に住んでいることはあまりない。(あえて外していくことで生まれるキャラクターもあるが)
美術設定がいいだけで絵作りはとても楽になる。

2008年11月26日水曜日

しるし

自分が仕事をした後、見ましたよという印にチェックマークを描くのだが、たいがいは自分の名前の頭文字とか、ピッと線を引くだけだったりするが、たまに面白い人がいる。
自画像を描いたり独自のキャラクターだったり。
忙しい時だとこんなの描いてる暇があるなら早くよこせと突っ込みたくなる人もいるが、遊びの延長にある仕事なのでこういうのを忘れちゃいかんなと思ったりもする。

2008年11月24日月曜日

物語を所有する

音楽は十二音平均律からデジタル化へとあらゆる音韻、音響情報を一般化し、等価に扱えることをめざし、映像もまたしかり本物の役者ももCGのキャラクターも今や等価に扱える。
金もあらゆるものを一般化するためのツールだし、人間のあらゆるものを自分たちで制御したいという欲望から『物語』だけ逃れるということも出来ないだろう。
漫画、アニメの二次創作に見られるように物語はバラバラに解体されたり増殖したりして、受け手の中でそれぞれの必要とする物語へ再構築される。
携帯小説など、インターネットによってあらゆる個人は自分の物語を発信することも容易になった。
そんななか、職業としての物語作者は何を創っていくべきなんだろう。
再構築されるための大きな物語を創る、というのが現在の主流な方向性。
硬すぎない可塑性をもった物語が好まれるが、どんどん柔らかさは増していっている気がする。
物語の多様性を保持するには商売の在り方を考え直すしかなさそうではあるが…。

2008年11月18日火曜日

マンネリ回避

コンテの仕事を受けていると、あ、これ前にもやったという話にぶつかる。
物語の種類はそう沢山あるわけでもないし、ましてこの人にはこういう話が向いているだろうと振られた仕事はよけい似たような話になる可能性は高い。
たとえばバレンタイン話や肝試しとか…。
こういう話好きだし向いてるんだけど、前と何か違ったアプローチできないかなと考えつつ仕事を進めるのだが好みが知らず知らずにじみ出て、気がつくとやっぱり似ていたり、前にやって成功したことはつい同じことをやってしまいがち。
だからといって、変えすぎて訳の分からないものになっても困る。
匙加減はいつも悩むが、同じような話でも世界観や見る人たち変われば新鮮だったりするしあまり考えすぎないほうがいいのかもしれない。

2008年11月17日月曜日

ダビング

ダビングとは音を付ける作業である。
声、効果音、音楽をいっしょにまとめる。
一週間前くらいには音響効果を作る人にそこまでにできた絵を渡すのだが、完全に完成した絵を渡せることはほとんど稀で、大体は線撮りと言って色のついてない絵で音をつけることが多い。
色が付いていないと、どんな場所にいるか判らなかったり、特殊な撮影の効果が入っていなかったりするので、当然音を作る人は想像で音を付けることになる。
放映されたものを見て頭を抱えた効果マンは少なくないだろう。音響さんには足を向けて寝られないのである。
家庭で見るときの音の環境も良くなってきているので、作るほうもそれなりに準備をしないと赤っ恥をかくのだが、絵がない時はいつも申し訳ない気分でいっぱいである。

2008年11月12日水曜日

アニメとアニメーション

大体においてアニメは、色面構成されたキャラクターがマチエールを持った背景の上にのる、という画面構造を持っている。
商業アニメーションの枠組みの中では、この技法から外れて作るのは物理的にかなり困難だ。
アニメに限らず漫画のほとんども色が塗られていないだけで同じような画面構造をもっているので、多人数で製作するのにかなり汎用性の高い画面構造だといえるのだろう。
アニメ制作にコンピューターが導入されて久しく、セルやフィルムを知らないスタッフも少なくない。
デジタル化によって制作の、特に最終工程付近の作業の大変さはかなり軽減されたと思われる。(徹夜するスタッフの数ははあまり減っていない気がするが…)
画面作りの自由度が上がって、何か決定的に新しい画面作りが出て来そうな気もしていたが、そんなこともなくセルアニメーションの技法がいかに優れているか、ということが感じられる。
きっと二十年、三十年の単位でみれば大きく変わっているのだろうけど。
(さすがに最初期のテレビアニメと比べる画面の密度は恐ろしいほど高い)
作画からコンピューターでやってしまう人も出てきている昨今、いまだセルの延長線上にあるデジタルアニメから脱却できないだろうか。
3Dのアニメーションが次世代アニメの潮流かと思っていたが、思ったほど本数は増えてないようだ。2Dと比べた時のコストがまだ高いのだろうか。
最近は2Dの不得意なところを3Dでやってもらうことが多いが、しばらくはこういったスタイルがメインのようだ。
最近の3Dのアニメーターさんはディフォルメした動きもとてもうまくなっているので3Dだけでもっと面白いことができそうな気はする。単純にリアルなだけでないものが。
ディフォルメされたキャラクターがリアルな立体の世界の中を動き回るだけでは、今のセルアニメと
意味的な差異をつくるのは難しい気がするのと、やはり、リアルになればなるほど動きのコントロールが難しそうなので何か手を考えなければいけないだろう。
セルアニメも絵の完成度が上がっていくだけでない何かを考えなければいけない気はするが、それがアーティスティックなアニメーションに向かえばよいというわけではないと思うし。
ただ、アニメが切り捨てたアニメーションの幅をいろんな角度で再考する時期が来ている気はする。

2008年11月11日火曜日

いまどきの演出

テレビアニメの演出でマストなテクニック、
レイアウトで見せる。
この辺はレイアウトで見せて…頻繁に言われるし言う言葉。
テレビの予算やスケジュールの中ではこれをいかにうまく使うかが、作品のクォリティーを保つカギとなる。
別に目新しいテクニックでもないが、線の多い作品が増えたり、アニメーターの不足が著しい昨今はとても重要だ。しかし、なかなか難しい演出である。
新人の演出は絵が描ける描けないにかかわらずとにかく動かしてしまいがちだ。
間をつくるのが不安な新人さんは多い。勢い動かしてしまうのだが、かといってどこで間をとるかの呼吸をつかむのも、それなりに熟練を要する。上達するには何にもましてたくさん仕事をするのが一番な気はするが、音を想像してみるのがいいかもしれない。
実際、音を入れてみたときに、間が短かったと感じることがすくなくない。
間が作れるようになれば絵的な構図は何とかなりそうな気がするのだが…。
あんまり、止まってばかりなのもそれはそれでアニメを作ってる気がしないので、バランスにいつも悩むのであるが、答えはない。

気ままに

制作の周辺で考えたことを記録してみる。